三、二、一! 「あけましておめでとうー!!」 周りは見知らぬ人たちなのに、この瞬間はみんな同じ気持ちを抱えている。知らない人たちがいっせいにあげるカウントダウン。なんて不思議な光景だろうとあたしは奏の手を握りながら思っていた。 「年、明けたなぁ」 「そうだね、おめでとう」 あたし達だって充分若いはずなのに、若者のテンションについていけなくて、ただ空に上がった派手な花火を見てため息を漏らした。奏に出逢ってもうすぐ二年になる。 一月一日、午前零時。あたし達は近くの港に来ていた。そこは毎年人だかりで、海の上に見える花火を見たのは初めてだけど、とてもキレイだった。大きな音がして、そして光が空に零れる。冷たい空気に咲く大きな花。 「あー、寒い・・・」 「当たり前だ、すぐそこから潮風が吹いてきているんだからな」 手に息を吹きかけるあたしの顔を見ないまま奏はつぶやく。花火が上がるたびに、奏の顔が少し見え、その横顔にあたしは見とれた。ずっと見ているとあたしの視線に気づいた奏が、こっちを見て笑った。 「何見てんの?」 あなたに見惚れていました。なんて死んでも言えない。付き合い始めて何ヶ月になるんだったっけ? だけど、まだ慣れない。何度見ても、何度触れても。 来年の今頃も、こうして二人でいられるといい。クリスマスと同じことをしみじみと考える。今日はクリスマス以来で久しぶりに会ったのだ。奏は冬休み中、小さなコンサートや課題に追われていたし、あたしはあたしで多量の宿題に参っていた。 「・・・来年受験生なんだよね、あたし」 そう、だから来年の今頃は合格祈願でもしているのだろうか。 「そっか、ついこの間入学してきたばっかりだったのにな」 「ねぇ?」 一年が早く感じる。幼い頃よりも時間の流れが早い。三百六十五日という日数は変わらないはずなのに。 入学した頃、あたしは噂ばっかり気にして、第三音楽室まで逃げた。そして奏に出会えたのだ。つい最近のことにも思えるし、遠い昔にも思う。奏とこうして二人でいるのが当然のように思ってしまう。昔からこうしていたかのように。 「優」 帰りの臨時バスに乗るために、バス停に向かいながら奏がつぶやいた。やっぱりあたしの顔を見ない。奏はいつもどこか遠くを眺めていた。 「・・・何?」 「高校はどうするのか?」 特に大きな声を出しているわけではないのに、奏の声は人々の声にかき消されないほどの力強さを持つ。その声質があたしの耳に合っているというのだろうか。 あたしは奏の質問に困惑していた。コートのポケットに手を突っ込んだまま口をつぐむ。もうすぐ中学三年になるというのに、高校の名前を思い浮かべてそこに通う自分の姿を想像することが出来なかった。どうしても。 「なんで、そんなこと訊くの?」 「・・・おまえこそ、なんでそう訊き返すんだよ?」 不審さを表した声で奏が眉をしかめた。そのときだった。 「あれ、保本さん?」 バス停でバスを待っていると、後ろから声がかかった。 「保本さんやん、何や、おまえも港来とったん? あ、ハッピーニューイヤー」 「・・・・・・結城くん」 重苦しい空気を破って入ってきた侵入者を見て、あたしは目を見開いた。そして心の奥で助かったと思う自分がいる。 「あ・・・、びっくりした・・・、後ろからよくあたしが分かったね。暗いのに」 「そらそうや。俺の目を見くびらんといて」 今年流行りのカジュアルなコートを身につつんでいる結城くんはやっぱり手をポケットに突っ込んで、鼻を赤くしたまま笑った。毛糸のニット帽を被っているせいか、いつもと違って見えた。きっとあたしは彼を見つけることが出来ない。 「・・・誰」 あたしの横で奏が不機嫌そうにつぶやいた。あたしは慌てて横を見る。 「あ、あたしのクラスメイトの・・・」 「結城庸人ですー。ハジメマシテ、桐川さん?」 あたしの言葉を遮って、結城くんは明るい声で言った。奏を見上げるその表情は一見穏やかだけど、鋭い目をしているのがあたしにも分かる。 「お噂はかねがね。というか、俺、桐川さんのファンやったんで、こんなトコロでお会い出来て光栄です」 そうか、結城くんは奏に喧嘩を売っているんだと気付いた。ここは戦場だからと教えてくれたのはまぎれもなく彼自身なのだ。 「ちょっと・・・結城くん・・・?」 「ま、挨拶もすんだことやし、俺、向こうに行くな。友達が待っているねんて」 ポケットから手を出して、その手をあたしたちに振って結城くんは人の群れの中へと消えていった。 「・・・アイツもピアノ、やってんの?」 「え? うん、そうだよ。奏のおっかけなんだって。昔から好きだったんだって」 「俺、昔は今ほど活動していなかったはずだぜ?」 「うーん、でも発表会を偶然見たって言っていたよ。そもそもあたし、結城くんと初めて会ったのって六月の奏のコンクールのときだったんだよ?」 あたしが言うと、奏は驚いたような目であたしを見た。 「・・・おまえ、来てたの?」 「え?」 「六月のあのコンクール・・・」 「・・・・・・うん」 そうだった。あの頃はあたしはまだ奏に再会していなくて、毎日がモノクロに映っていた。とにかく奏に近づきたくて、ただひたすらピアノを弾いていた。 そして、言われた。 ―――キミ、確かに上手いと思うねんけど、こう伝わるものがあらへんな。 とても悔しかった。なのに、あれからあたしは奏に出会って、そして少しでも進歩したと言えるだろうか。初めて味わう恋愛の温もりに浸りすぎて、この甘さを拭いきれなくて、あたしは昔よりも向上心が欠けてはいないだろうか。 「そっか・・・、それは驚いたな・・・」 ちょうどバスが来た。寒さで震えた人々がいっせいにバスに乗り込む。これを逃してもまだあと二本臨時バスがあるはずだけど、早く帰らないとさすがに両親が心配するのであたしたちは少しでも早く乗ろうと手を繋いだまま人の流れに身を任す。 「・・・俺も、おまえを見ていたけどな」 「え?」 「六月のコンクールの中学生部門、俺も見たよ」 「・・・・・・・・・・・・」 あたしはぼんやりと六月のことを思い出していた。どんな思いで弾いていたか思い出せない。ただ何も知らないで奏に聴かれていたなんて。 嬉しいのか恥ずかしいのか分からなくて、呆然とした。もしかしたら奏も同じ気持ちでいるのだろうか。それだったら、これ以上に幸せなことはないと思った。 「・・・さっきの奴」 「あ、結城くんのこと?」 「ああ、あの男、見たことあるって思ったけれど、コンクールで見たんだろうか・・・。でも何回か見たような気がするんだよな・・・」 「コンクールじゃない?」 「いや、舞台っていうより、もっと近くで、さ・・・」 奏はつぶやくけれど、満員バスであたしはそれどころじゃなかったし、ただ奏からはなれないようにと必死でバスのつり革を握る奏にしがみついた。
奏は家の前まで送ってくれた。別れ際に触れる程度のキスをくれた。感覚がなくなるほど冷たくなっている唇なのに、奏には敏感に反応してしまう自分がおかしかった。 「おやすみ」 唇を離したあと、そう言って奏は背中を向けた。次はいつ会えるの、なんて訊けない。期待するのも怖い。お互い違う学校で、あたしはもうすぐ受験生で、そしてピアノだって弾き続けたい。 恋愛にハマっている場合ではないのだと今更気付かされた。あたしは奏に近づけないあたし自身を好きにはなれないから。 奏の広い背中が見えなくなると、ため息をついて玄関のドアを開けた。 「おっかえりー!」 なんと玄関で出迎えてくれたのは、姉のあづさだった。 「お姉ちゃん! いつ帰ってきたの?」 「ついさっき、同じガッコの友達に車で送ってもらったんだよん。長旅で疲れて帰ってきたら、優はいないし!」 「ご、ごめんね・・・?」 「男とデートだって?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 にやりと笑うあづさを横目で見て、あたしは何故か顔を赤くしてうつむいてしまった。あたしは家族とこういう話をしたことがあまりない。両親とはそれなりに距離を置いているし、姉はといえば仲良くなった途端に大学進学のために家を出て行ってしまった。 「いいなぁ、カレシとカウントダウン。憧れるなぁ」 「・・・お姉ちゃんはしたことないの?」 「思えばわたし、彼氏と一緒に年を越したことないなぁ。つーか、正月に彼氏がいたことってあったっけ・・・?」 本気で唸っているあづさを見て、あたしの知らないところであづさも様々な恋愛をしてきたんだと思った。こんなに近い家族なのに、何も知らないなんて少し胸が痛い。 「まあいいや。ほら優、リビング入るよ。お母さんが年越しそば作ってくれている」 あたしの手を掴んだあづさの手は、驚くほど温かかった。髪の毛が茶色い。耳元のピアスが光ってとても大人っぽいと思った。いつになっても追いつけない彼女を、あたしは心から憧れ、そして同じくらいに嫉妬する。
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