7 月光を浴びる(前)


 十二月に入るとすぐに期末試験がやってきて、のんびりしていられなかった。
 そういえば、去年のあたしは今頃登校拒否なんかしていて、試験も受けなかったなとしみじみと思う。なんだかおかしくて笑ってしまう。
 過去のものになると、痛みは緩和して、どうしてあんなに弱かったのかと昔の自分を責めたくなる。だけどよく考えてみれば二度と戻りたくない時間、すなわちもしかしたら今のあたしよりもずっと根強く生きていたのかなとも思う。時間の流れのせいで、ものさしでは計れないもの。
「あと一日・・・、それが終わったら冬休み・・・」
 試験が終わって、試験直前にはほとんど意味を成さなかった教科書を鞄に詰め込んでいく。もう準備が出来た佳苗は、あたしの机に寄りかかってため息をついた。
「明日が一番問題よ。数学と社会だよ? それに、どうせ冬休みっていっても何もないし。毎日部活三昧だよ」
「青春じゃん?」
 あくびをしながら、鞄を片手で抱えてあたしたちは教室を出て行く。
 まだ午前中のため、お腹がすいた。だけど、まだ明日には試験があるため寄り道は出来ない。くだらない中学校のシステムに組み込まれている自分自身に気付かないわけでもないけれど、そうやってレールに乗っていくことしか出来なかった。他に、そのレールを無視して遊んでいる子達もいたけれど、あたしにはそんな強さがなかった。だから今は勉強するしかなかった。


 家に着いても母は仕事のため、昼ごはんはカップラーメンになる。
 食べながら普段は見れない平日の真昼の人気番組を見て、終わったら潔くテレビを消して部屋に入る。
 机の上は、昨日勉強したままの状態になっていた。ため息をつく。どうにか気持ちを切り替えないと、と机の上のプリントやら教科書に手を伸ばしたとき、ベッドの上に放置した携帯電話が鳴る。あたしの手は行き先変更、その携帯に手が伸びる。
 メールではなく着信だった。
「もしもしー?」
『あ、俺。優ってさ、もう冬休み?』
「はぁ? まだ試験中ですけれど?」
 空いた左手で使わない教科書をベッドに投げながら、あたしは一気に椅子に全体重を預ける。
『そうなのか? 悪い、俺今日で学校終わった』
「試験中のイタイケな中学生に向かって何? 自慢ですか?」
『・・・少し』
 笑いたい声を抑えて、電話の相手は言う。世界で一番憎たらしいあたしの彼氏。
「っていうかさ、奏だって去年まではうちの生徒だったんじゃん。状況見抜いてよ」
『一年前のことなんかもう思い出せません』
「あたし、これから勉強するんだけど、邪魔しないでくれる?」
『何、おまえ、まだ優等生なんかやってんの?』
 奏の言葉に、少し胸が痛んだ。それしかあたしには取り柄がない気がして。夢へまっすぐと向かえる奏とあたしは釣り合っていないという考えが浮かんでしまって、あたしは首を横に振って慌てて掻き消す。
「・・・電話、何の用だったの?」
『おまえももう冬休みだったら会おうかなって思って』
「嫌味ですか。同じこと何回も言わせないで」
『そんなんじゃないって。いつから休みだ?』
「・・・二十三日」
『ふうん。じゃあ、二十四日は空いているか?』
 奏のその言葉に耳を疑った。二十四日といえば、誰もが知るあの日。
「・・・奏」
『なんだ?』
「二十四日って何の日か知ってる?」
『何言ってんだ。クリスマスイブに決まっているだろ?』
 携帯を持つ手が震える。そんなこと覚えていなくていいのに。あたしの思わないところでちゃっかりとツボを押さえているから、いつだってあたしは敗北者な気分を味わう。
『女はイブにうるさいって聞いたことあるけれど、おまえは違うの』
「・・・ううん」
 素直じゃないあたしは、一緒に過ごそうと言ってくれた奏にありがとうとさえ言えない。
「あたし、試験勉強頑張るから」
『おう』
「明日終わるの。また連絡するね」
『俺も二十三日、演奏会に出なきゃならないんだ。だからそれまで会えないけれど』
「別にいいよ」
 裏腹にあたしは明るく声を立てて笑う。奏もそれを気にしない。あたしたちはいつだって、お互いを恐れてある一線以上の領域に踏み込めないでいる。


 試験が終わった後、佳苗と一緒にファーストフードで昼ごはんを食べる約束をしてある。試験終了したその瞬間の解放感は大好きだ。
 帰るまで少し時間が欲しいと佳苗は教室を出て行った。試験が終わればあとは休みを待つのみ、これからどこへ行こうとか何をしようとか、クラスメイト達ははしゃぎながら教室を出て行って、十五分経ったらあたしと結城くんだけが教室に残った。
「帰らないの?」
 あたしが訊くと、あたしの後ろの机で伏せていた結城くんがだるそうに顔をあげた。
「ん・・・、あー、もうこんな時間か」
「寝不足?」
「そりゃ、それなりにいい点取りたいし・・・、俺、こう見えても負けず嫌いやから」
 自信有り気にあたしを見る。あたしは笑いを堪えて息を吐く。彼と喋るのは楽しかった。暗い空気にぱっと光が灯されるような、独特の雰囲気を持つんだと思う。
「保本さんは帰らへんの?」
「あたしは佳苗を待っているから」
「佳苗ちゃんをねぇ・・・」
 ふっとため息をつく結城くんを見て、違和感を覚えた。なんだろう。
「これからどうするん? 保本さんは」
「これからって・・・、冬?」
「いろいろイベントあるやろ?クリスマスもあるし、ピアノを弾く場所はないん?」
「あたしは特にないけど・・・」
「けど、何?」
 穏やかな瞳で、口調や言葉は鋭くて、でも今はあたしの胸も痛まない。そんな結城くんをあたしも分かるようになっていた。だから、穏便に事を運ぶ。
「奏は二十三日に、何かあるって言っていたよ」
「ふうん、やっぱりクリスマス関連なんやろな。二十五日まで三日間ある演奏会。でも二十三日にしたってトコが桐川奏らしいけどな」
「どうして?」
「イブは保本さんと一緒に過ごしたいってやつやろ?」
 どいつもこいつも、とあたしはただ笑う。そのとき、教室のドアが開いて佳苗が入ってきた。
「ごめんね、優、待たせたよね。帰ろう?」
「うん、もうお腹空いたよ」
「ごめんってー」
 言いながら、佳苗は結城くんに顔を向ける。
「結城くんは帰らないの?」
「いや、帰るけど。佳苗ちゃんはどこ行っとったん?」
 結城くんの問いに、佳苗は二秒、力強く結城くんを見つめた。アイコンタクト。テレパシー。あたしには分からない言葉。
「じゃ、帰ろうか。結城くんも一緒にご飯食べに行く?」
 鞄を持ち直しながら、佳苗は明るい声で何事もなかったように言った。
「いや、遠慮しとくわ。女二人に混じる根性はあらへん」
 結城くんの言葉にあたしたちは笑う。声を立てて笑いながらも、正直あたしは心のどこかでほっとしていた。
 今になって違和感の正体を知る。
 この二人はいつの間にこんなに仲良くなっていたのだろう。


 その言葉はハンバーガーを二口食べたときに発された。
「振られました」
 普段あまりにも使わない単語のせいで、あたしは口に入ったものを飲み込むまでその意味を理解することが出来なかった。佳苗も何でもないことのようにポテトに手を伸ばす。
「・・・え?」
「さっき、先輩に告白してきたけど、振られちゃった」
「・・・・・・・・・・・・」
 さっき、というのはきっと試験が終わってから、あたしが教室で待っている間のことだった。結城くんと何気ない会話をしているときに、そんな勇気のいることをしていたなんて。
「優ちゃん、驚いてる?」
「そ、そりゃ・・・驚いているよ。だって告るって相当難しいことじゃん?」
 笑いながら問いかける佳苗に、あたしは震える声で答える。佳苗は表情を崩さない。
「でも、隠すのも限界だったし・・・、先輩もあと少しで卒業でしょ、会えなくなると思ったから」
 それはとても覚えのある感情だった。去年のあたしとあまり変わりはない。なのに、そこで力を発揮できる佳苗をあたしは心底尊敬した。
「不思議なもんだよね。なんか、逆にすっきりした。前にも言ったけれど、先輩には彼女もいたし、振られるって分かっていたからかな」
「・・・・・・・・・」
 でも、あたしは分かる。佳苗の笑顔はさっきから動かない。無理している。だけど、きっとひとりになるのはもっと怖くて、あたしが傍にいることで理性を保っている。・・・泣いていいのに。もっと感情に豊かになったら楽なのに。
 あたしにはどうすることも出来ないなんて悔しい。
「佳苗・・・、あたし、・・・・・・役に立てなくてごめんね」
 うつむいて言うと、佳苗は声をあげて笑った。
「何言ってるの、今こうして話を聞いてくれているだけで充分救われているんだよ? ありがとう」
 だけどあたしは佳苗にその三倍も四倍も救われてきたのだ。どうして同じくらいのものを返せないのだろう。自分の非力さを実感する。人として疑う。あたしはこんなにも不完全だと。
 来年こそは幸せに、どうか佳苗を幸せに。まだ年越しまで十日もあるのに願わずにはいられない。誰よりも、あたしよりも幸せになってほしいと思った。こんなに素直で明るくて、優しくて、劣らない可愛い女の子。
 世の中はうまく成り立っていない。


 家に帰っても佳苗の笑顔の下の涙を思い浮かべて、感情移入して泣きそうになる。こんな夜は、奏に会いたくなる。あたしはなんて勝手な人間だろう。
 カーテンを窓の外を見上げると、月が泣いているように見えた。
 両手を合わせて願う。どうか幸せに・・・、幸せにしてください。大切な友達なんです。


      
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