6 装飾ばかりで(前)


 いつもと同じ朝、外に出るとちょうど風が吹き込んであたしは震えた。
「ちょ、ちょっと寒い寒い!」
「だから言ったでしょ、最高気温は十度前半なんだから」
 慌てて玄関へと戻ったあたしを見て、母は呆れた。
「ほら、いつまでここにいるの、早く学校に行きなさいよ」
「やー、寒い、マフラーして行こうかな」
「今からそんなに厚着していたら、真冬どうするのよ」
 母の言うとおり、いつまでもここにいるわけには行かず、今度は覚悟を決めてあたしは外に出た。風が冷たい。ブラウスの上にブレザーを着ただけでは無理だ。生身の足が震える。せめてセーターを着ればよかった。だけどもう時間もなくて、あたしは走って学校へ向かった。
 十一月中旬。
「おはよー、優ちゃん」
「おはよ、寒くない? 寒くない?」
「寒いねぇ」
 正面玄関で会った佳苗と凍え合う。
「その小指も冷たいんじゃない? 冬にアクセは辛いねぇ」
「うん、だけど心が温かいからー」
 ふざけあって、笑う。小指には毎日佳苗から貰った指輪をはめている。佳苗はそれを見るたび恥ずかしそうに毎日つけなくてもいいのにって言っていたけれど、あたしにとってこれは精神安定剤になるのだ。
「おっす、おはよーさん」
 肩を叩かれて振り返ると、結城くんが立っていた。
「あれ、おはよう、めずらしいね、いつも早いのに」
「そやかて、めっちゃ寒いんやもん。布団から出られんて」
 結局、この寒さを感じているのはあたしだけじゃないようだ。こんな単純なことでも同じことを感じあえる。それってちょっとすごいかもしれないってあたしは朝から頭がおかしくなる。
「けど、保本さんは桐川さんとラブラブでアツアツなんやろ?」
「・・・何それ、そんなにイチャイチャしていません」
 あたしが奏と付き合っていることは、二人には話した。あたしのことを心から心配してくれて、あたしを信じてくれている佳苗と、桐川奏のファンだという結城くん。
 結城くんは不思議な人だった。いつも一緒にいるわけではないし、夏が過ぎたら特に話す時間が多いわけでもなくなり、気付けばあたしばかりが話しているだけで、あたしは結城くんのことを何も知らないって気づいた。
 奏との付き合い方も同じだな、とあたしは愕然とする。あたしには相手を知りたいという思いやりや優しさが欠けているのだろうか。
「でもね、優ちゃん。この時期は独り身には痛いのよ」
「そやそや、街に行けばこれ見よがしにイルミネーション、苛めや、苛め」
「・・・結城くん、彼女いないんだ?」
 あまり自分と奏のことを話題にされるのが好きじゃないあたしは、話題を反らして結城くんを見た。結城くんは意味ありげにため息をつく。
「だってな、『あたしとピアノ、どっちが大事やねん』って昔捨てられたことあるねんで。だから、寛容な女の子探しとるんだけど、誰もおらんくて」
 結城くんの艶めかしい話にあたしと佳苗は大声で笑う。
「そんな科白、今から吐かれてどうするのよ! 十年早いって」
 佳苗は涙目になりながら、お腹を抱えて笑い続ける。
「もう、かなわんわ。ほら、チャイム鳴るで。行こ行こ」
 結城くんもあたしと同じ、自分の恋愛話は苦手なのだろうか。笑い続けるあたしたちの背中を押して、教室に向かった。


 奏と付き合い始めて二ヵ月。
 だからと言って、お互いそれぞれ生活があるわけだし、学校は違うし、いつも会っているわけではない。週に二、三回、下手をしたら一週間会えないなんてこともある。それを言ったら佳苗に「寂しがらないなんて、さすが大人だね」ってからかわれたけれど、寂しくないわけではない。
 だけど、会えない絶望に比べたら、まだまだあたしは頑張れる。そうやって渇を入れている。
 強くなるってきっとそういうことなんだと今は思う。


「いつかはそうなると思ったわ」
 あたしが勇気を出して打ち明けたとき、結城くんはそう言って笑った。
「話の限り、二人とも両片想い的なもんを感じたしなぁ」
「・・・放っておいてよ」
「そやな。もう俺が見守らんでもええってことや」
「いつあんたが見守っていたのか分からないんですけれど」
 まだ夏の名残があった九月の放課後、教室で二人きりで喋っていた。
「心配しとったで。保本さん、いつか俺のライバルになると思ったし」
「・・・ライバル?」
「そや。勝負しよか?」
「・・・あたしは、勝ち負けの為にピアノを弾いているわけじゃない」
「甘いで、保本さん。桐川さんに聞いてみ? もう保本さんもその世界におるんやで」
 あたしの甘さを貫くような鋭い視線を向けて、結城くんは言った。
「勝負の世界にな」
 正直それどころじゃない。今でも学校は慣れないままだし、あたしがコンクールに入賞したからと先生や同級生達に声をかけられることもしばしば。
 そんなことを考えている場合じゃないのに、追い詰められるたびにあたしはそれを意識しなければならない状況になっているような気がした。
 あたしはただの保本優で、それ以外の何ものでもない。 でもすでに、世間はあたしを飾り立てていた。あたしの知らないところで。


 買ってもらったばかりの携帯電話にメールが来た。

  (タイトルなし)
  今日の放課後空いてるか?

「優ちゃん、誰とメール? も、し、か、し、た、ら!?」
 黄色い声で、佳苗が小さな騒ぎ立てる。賑やかな休憩時間、一応校則で携帯電話を持ってくることが禁止になっているので、あたしは鞄の中ですばやく返事を打つ。
「佳苗、うるさいよ」
「あー、やっぱり桐川センパイだー。何? デートのお誘い?」
「佳苗、プライバシーの侵害って知ってる?」
 送信のボタンを押して携帯を閉じて、あたしの携帯を覗き込んでいた佳苗を見ると、佳苗は罰の悪そうな顔で笑った。
「・・・ごめんね、騒いで」
「別にいいけど」
「だって、羨ましくて仕方ないんだよ?」
「・・・頑張るって言ったじゃん」
 あたしがつぶやくと、佳苗は目を伏せて笑った。少し無理やりな感じがして、あたしは後悔する。謝らなければならないのはあたしのほうだ。
「ウン、頑張らなくちゃいけないね」
 でも、頑張るってなんだろう?
 以前あたしが出した疑問を、もう一度胸の中で唱える。分からないのに他人に押し付けてしまった。あたしは立派な人間でも何でもないのに。佳苗の力になりたいって思うのに。
 幸せだと、ちょっとしたことで不安になったり。周りのことが何も見えなくなったり。
 結局、何も考えないで生きるなんて不可能だった。

  Re:
  空いてるよ。どこに行けばいい?



 奏に指示されたとおり、駅までやって来た。
「優」
 五分待ったところで、音高の上品な制服を着た奏がやって来た。
「悪い、待ったか?」
「ええ、遅いですよ?」
「マジで? 俺も急いだのに?」
 本気でしかめ面する奏を見て、あたしは笑った。
「嘘です、ちょっとしか待ってないよ」
 あたしがイタズラな笑みを浮かべて奏を見上げると、奏は表情を崩して笑った。この表情が好きだと思った。
 再会した日から二ヵ月。初めてキスした日から二ヵ月。
 あたしの恋は立ち止まることを知らない。
 想いは加速していくばかりで、この先が少し怖い。


      
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