5 態度が気に入った


「お母さんお母さんお母さん」
 今日も決断を下して、あたしは学校から家に帰るなり母を呼んだ。
「なあに? もっと静かに歩きなさいよ、優」
「折り入ってご相談があるんですけれど!」
「携帯なら買わないって何度も言っているでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・」
 ダメージ二百。あたしは途端に力が抜ける。だけど負けるもんか。


 三週間前―――奏と再会したあの日。
 その日あたしは部屋に入ってからずっと奏からもらった番号を見つめていたけれど、すぐに電話する気分にはなれなかった。今更何を言っているのだ、と思われそうだが、少しでも冷静に見せたかった。佳苗が思うほど、あたしは格好良く生きているわけではない。
 三日経ってから、ようやくあたしは家の電話の受話器を手にして、その九つの番号をプッシュした。
『もしもし?』
「あ、あたし・・・、保本、ですけれど」
『ああ、なんで敬語なんだよ』
 受話器の向こうで、クスクス笑う声がする。直接喋っているときより少しだけトーンが高い。本当は生の声のほうが好きだけれど、顔が見えない分、電話はとても刺激的な気がした。
『だいたい、なんですぐに電話しないんだよ』
「え・・・? だ、だって・・・」
『俺はそっちの情報知らないし』
「・・・・・・そ、そんなの関係ないじゃん」
 少しムッとして、あたしは口を尖らせた。
 あたし自身に腹が立った。計算高いことを奏に気付かれたような気がして、胸が痛くなった。親に隠し事をしたときのような気持ちに似ていて、それ以上に罪悪感が広がる。
「だ、だいたいあたしだって暇じゃないんだし、いつ電話しようが勝手でしょ!?」
 言ってから、しまった、と思った。言葉も悪ければ、口調も最悪だった。昔よりも貪欲に、ワガママに、とても嫌な人間になっている。自分自身が驚く。あたしってこんな人間だったんだ。
 昔のほうがずっと素直だった。人の信じ方を少し間違って捕えてしまったのかもしれない。だけど今更修正不可能で、地団駄を踏んだ。
『・・・あーそう』
 後悔する傍ら、受話器から力のない返事が耳に来る。動揺するものの、こういうときこそ電話は不便で言葉以外で通じるものなど一つもない。もしあたしが言葉で伝える術を持っているなら、もっと早く奏に素直になっていた。
『お忙しいなか、時間を割かせてすみませんデシタネ』
「な、なんだよそれ」
 文化祭のときに自覚した自分の口の悪さが再び姿を現して、あたしは慌てた。こんな女になりたかったわけじゃない。どうして、素直に自分の恋心を認められるような佳苗みたいに、儚くて可愛い女になれないのだろう。そんな自分もきっと好きになれないだろうけれど、今の自分だって好きじゃない。
 奏は、どうしてあたしなんかを思ってくれていたんだろう。考えていくと分からなくなって、今更「夢かもしれない」と思い始める。
 馬鹿みたいだけど、夢だと信じてあたしはなんと受話器を置いてしまったのだった。
「電話終わったの?」
 いつの間にいたのか、母が後ろから声をかけてくる。
「・・・・・・う、うん」
 答えながら首をかしげた。胸の動機がおさまらない。あたしは病気だ。


 その十分後には当然のごとく、あたしはとんでもないことをしてしまったのだと気付いていた。だけど、このまま電話をしてもまた素直になれずに嫌な自分を見せ付けられるのかもしれない。そう思うと、とてもじゃないけれど電話なんて出来なかった。
 恋をするって面倒だ。
 三日前はあんなに幸せだと思ったのに。あたしは唇にそっと手を寄せて、少し顔が熱くなった。奏との初めてのキスを思い出して。
 高揚感があふれ出し、やっと受話器を持てたのが更に十分後。
 ワンコールで奏が出た。
『なんで切るんだよ?』
 一言目から喧嘩を売っている科白だった。そもそも喧嘩を売ったのはあたしなんだけれど。
「・・・・・・ごめん」
 素直に。謝った。受話器を持つ手が震えた。
『おまえさ』
 ため息とともに聞こえる奏の声。やっぱりちゃんと目を見て話がしたい。そんなことを思っていると、奏が言葉を続けた。
『携帯持ってねえの?』
「え?」
『今、家の電話からだろ?』
「そ、そうだけど・・・。あ、あたしも欲しいんだよ? でも、親が駄目ってうるさいんだもん」
『イマドキの中学生は持ってるもんかと思ってたけれど。娘が可愛くて心配なんじゃねえの?』
 いちいち腹が立つ言い方をする。わざとだろうか。計算高いのは奏も同じで、あたしと違うところは奏のその計算には間違いがないということ。あたしを怒らせて、その分想いも強くなる。なんて酷い技をしかけてくるのだろう。ノックアウトを喰らう。
「もういいよ! 絶対親を説得してみせるから!」
『・・・そ? 楽しみにしてるから』
 あたしは目を見開く。この人がこんな科白を吐くなんて。
 面倒だし苦しいだけだと思っていた恋に、こんな楽しみがあるとは思っていなかった。あたしは微笑んだ。
「うん、楽しみにしてて。買ったら絶対メールするから。ラブメール?」
『余計なものはいらねえよ』
 なんだ、ちょっとしたことでこんなに胸が安らぐ。夢じゃない。あたしは心底安心した。


 あれから三週間。
 どんなにねだっても親は反対した。世の中では出逢い系サイトなど危ないものも流出しているし、何より親の知らないところで何か事件に巻き込まれるんじゃないか、なんていう心配もしているようだ。奏の言うとおりだった。可愛いのかどうかは知らないけれど、確かにあたしのことを心配している。
 でも佳苗も中二になってから持っているんだし。危ない世の中なんてほんの一部で、今では小学生だって手にしている。
 それに携帯電話があれば、あたしはもっと奏と繋がっていられるような気がした。そんな小さな電子機器に頼るのは、なんとも情けない話だけど、そう信じたかった。
 楽しみにしてるという奏の一言が、今もあたしの胸を支配しているのだ。
 ダメージ二百を、プラス方向に持っていってやる。あたしは負けずに母に縋りついた。
「あのね、お母さん、あたし彼氏が出来たの」
 奏が世で言う「彼氏」なのかどうか、自分でも疑問だったけれど、とりあえずそう言ってみた。親子で恋の話をすることなんてないので、母にとってあたしの科白は衝撃的だったのか今まで素知らぬ顔をしていたくせに、急にあたしを見た。
「・・・・・・はい?」
「だからね、あたし、彼氏が出来たの。でも彼氏、別の学校の人で。普段会えないじゃん? だからさ、携帯買って?」
「・・・・・・・・・・・・なんで別の学校の人なの? どこで知り合ったの?」
 すぐに心配して質問を並べるのは母の癖だなと思ったけれど、出来るだけ母を下手に刺激しないようにあたしは穏便にことを運ぶ。
「中学の先輩なの。今高校生でー」
「・・・その人、格好いい?」
 今度はあたしが固まって、思わず「はい?」と母そっくりの声で訊き返してしまった。
「ね、優、その人格好いい? 今度お母さんにも会わせてよ」
「・・・・・・携帯は?」
「もちろん買ってあげるから。ね? 今度連れて来なさい」
「・・・・・・・・・。ありがとう・・・・・・・・・」
 呆然としながらも、お礼を言うことを忘れないでおく。
 予想すらしなかった展開で、あたしは携帯電話を買ってもらえることになってしまった。あたしの親は世間から見たら少しずれているとあづさが昔ぼやいていたけれど、あたしはこのとき初めてそれを身に持って自覚したのだった。


 その後追及されなかったから何も言わなかったけれど。
 奏は格好いいなんて一言でおさまる男じゃないって思った。一言で説明できない、それこそ会わなければ分からない、そんな人間。
 だけど、きっとこれをネタに、母は奏に会うまで「会わせろ」ってうるさいんだろうな。これからの日々を考えて、あたしは嬉しいながらもため息をついた。


      
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