3 贈与しよう(後)


 大人になりたくて、でもなれなくて、せめて格好だけでも背伸びしたくて、あたしは買ったばかりの夏服を身にまとった。最近ファッション誌も去年よりも大人っぽいものを買うようになったし、とにかく上ばかり見ていた。
「優ちゃん、おはよう!」
 八月の青空の下、待ち合わせ場所に向かうと佳苗が手を振った。満面の笑顔、彼女も制服のときよりも大人びていて、輝いて見えた。
「おはよう、待った?」
「何それ、恋人じゃないよ私たち」
 定番のフレーズ、ただそれだけで馬鹿ウケしてあたしたちは大笑いをし合う。
「優ちゃん、大人っぽいね」
「・・・うん、お母さんに買ってもらったの、このワンピース」
「そっか、お祝いだね、コンクール入賞おめでとう!」
 佳苗は鞄から小さな箱を取り出した。そして、それをあたしの手のひらに乗せた。
「・・・これ?」
「お祝い。新聞で優ちゃんの名前見たときはドキドキしたなぁ。いきなり金賞だもんね、自分のことじゃないのにすごく嬉しかった」
「・・・・・・・・・・・・」
 あたしは箱を開けた。クローバーがついたピンキー指輪。
「・・・可愛い」
「気に入った? 」
「でも、あたし、別に誕生日なんかじゃないのに・・・?」
「だから、お祝い」
 少しずつ人で埋まる街の真ん中をあたしたちは歩いていく。あたしはその指輪を左手の小指に付けた。
「うん、似合うね」
 横で佳苗は笑った。
「ピンキーって、控えめな感じがして、私好きだったんだ。それに、優ちゃんの薬指は予約済みでしょ?」
 佳苗の言葉に、あたしは小指の銀色のクローバーを見つめた。その隣の神聖な薬指。
「・・・そんなこと、ないよ」
 声が掠れてしまって、あたしは空を仰ぐように上を向いた。佳苗は複雑そうにあたしを見ていた。
「あのさ、優ちゃん。運命って信じる?」
「え・・・?」
 あたしは佳苗に視線を戻した。聞きなれない単語を聞いた気がして。
「う、運命って?」
「馬鹿っぽいって思うよね、優ちゃんは恋愛にクールだもん、どうしてそんなに自分を保てるのかなって、思うよ」
「・・・・・・そんなつもりは、ないよ」
 歩きながらだと、周りにある街の風景が揺れて見えて、群がる人にぶつかりそうになった。あたしたちは昼食も兼ねてファーストフード店に入った。
 ハンバーガーセットを頼んで、席まで運び、あたしは再び口を開いた。
「・・・あたしは、佳苗が思っているほどきっと強くないし、・・・誤解だと思う」
 そう口にしながら、どうして長い間友達をやってきているのに、お互いのことを分かりあえないのだろうと胸が痛んだ。こんなにも知らなかったなんて、今更気付く。
「優ちゃん、私ね・・・」
 買ったハンバーガーの包みはまだ開けられてない。ゆっくりとポテトをつまみながら、意を決したようにあたしを見た。
 そして言ったのだ。好きな人がいるのだと。


 コンクールがあったのはほんの一週間前。
 去年とは打って変わっ て、直前のモチベーションは最高で、目の前にいる審査員の冷たい視線も全く気にならず、弾き終わ った瞬間あたしは一種の快感を得た。
 春から少しずつ小さなコンクールを受けたこともよかったのだと思うけれど。
 コンクールが終わってから張り出される発表を待ち構え、見てみたら――金賞で、さすがにそれには驚いた。自分では銅くらいには入賞しているだろうとしか想像していなかったから。電話で先生に報告すると叫ぶように喜ばれ、家に帰ったら母に抱きしめられた。いつの間に知らされたのかあづさからも電話が来て、周りが騒いでいて、まるであたしが中心部ひとりで取り残されているようなそんな感覚を味わった。
 Cコンクールを協賛していた次の日の新聞の小さな記事の中に、入賞者の名前が並べられていた。あたしは自分が金賞であったことを信じられな て何度も見た。そして、見つけてしまった。
 保本優、の名前の他にもう一つ。
 高校生部門以上になると設けられる、全国進出可能になってくる優秀賞。その中に、桐川奏という文字が紛れ込んでいた。
 奏がどんどん遠くなっていく。だから、あたしは奏がコンクールに出ると知ったときにショックだったのだと今になって気付いた。
 あたしが前へ進んでも、それ以上のスピードで奏はいつまでもあたしの手の届かないところにいる。そう感じて、切なくなった。
 外は、群青色が広がるほどの夏だというのに。


「でもね、その人・・・一学年上の先輩なんだけどね、彼女がいるんだよね」
 頭を掻いて、エヘヘと佳苗は小さく笑う。
「・・・同じ剣道部の、先輩?」
「ウン、しかもその彼女も私の先輩、すっごく美人でね、女の私もすごく憧れる、だから、・・・すごく辛いんだ。どう頑張っても、手に届かないの」
 佳苗の目が震えていることに気付いて、あたしは視線を下へと落とす。目の前の先にあったポテトをもう一個つまんだ。
  女の子は早熟だって言うけれど、あたしたちが二人で真剣な恋愛話をしたのは初めてで、少し胸が高鳴った。
「だからね優ちゃん、私、優ちゃんが羨ましい。ねえ、運命って絶対にあるんだと思うんだ。私ね、今でも思い出すよ。優ちゃんと一緒に居たときの、桐川センパイの笑顔、忘れられない よ、どうしてかなって他人事なのに、すごく悲しくなる。・・・私が、叶わないものを持っているから、なんだけど」
 何かを堪えながらも、震えながら佳苗は途切れ途切れに思いを吐き出して、あたしの胸まで痛くなった。あたしだって、分からない。どうしようもないってずっと思って諦めてきたから。
 あの雨の日の夕方の奏を思い出してみた。本当に手が届かないと思った一瞬。
  ・・・本当に?
「桐川センパイが優ちゃんを好きなこと、一目瞭然だよ」
「・・・・・・うん、知ってる」
 あのとき―――卒業式のときにあたしは知った。そして、あたしの気持ちもきっと知られた。あたしたちは何に固執しているのだろう。
 他人に言われてやっと気付いた。
 臆病なあたしたちに、与えられる幸せなんてきっとない。
「か、佳苗・・・」
 あたしは震える唇で、つぶやいた。
「あの、あたし、あんまり力になれないけれど・・・、諦めることって悲しいよ 。だから・・・」
「言われなくても頑張りますけれどね、優ちゃんもどうにかしなよ? もどかしいったら」
 佳苗の瞳はあたしなんかよりもずっと強い眼差しで、あたしは深くうなずいた。
「分かった」
 それよりも、あたしはずっと佳苗の友達で、あたしが登校拒否をしていたときも佳苗があたしの背中を押してくれてあたしを助けてくれたのに、佳苗の気持ちにまるで気付かずに自分のことばかり考えて過ごしていた自分に呆れた。あたしが大事にしたいものであるはずなのに、いつもどうすることも出来ずに、あたしはいつも誰かに支えてもらっているばかりだった。
  大人になりたくても、それは外見ばかりで、いつも心は出遅れている。
 頑張るってことがどう いうことか分からない。佳苗はあたしを、クールだって言ったけれど違う。ただ臆病なだけ。本気になれないのも、いつも距離を置いてしまうのも。
 だけど、あたしが本当に望むモノ。それは他人には分からない価値がある。ピアノの鍵盤を見つめた。それだけで涙が出た。
 あの日からもう半年近くになる。
 会いたい。溢れる気持ちはとても簡単な一言。


     
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