6 衝撃を与えましょう(後)


 屋上には誰もいない。遠くで街のざわめきが聞こえるけれど、それ以外静寂している。だけど、ここで大声あげてもきっと誰にも届かない。今の学校内は一番騒がしい昼休み中なのだ。
「先輩方、こんなことしていていいんですか? 受験控えているでしょう?」
「うるさい!!」
 あたしの手を掴んでいた女が、叫んであたしを振り払うように手を離した。その拍子にあたしはコンクリートの床に転んだ。
 この人たちがあたしの敵であることは分かる。だけど、あたしの何に腹が立っているのか理解できない。そう思ったとき、違う一人がその答えをくれた。
「あんた、奏の何なの。どういう関係なの」
 その科白にあたしは転んだままの体勢で三人を見上げた。ああ、そういうことなのかとあたしは冷静に心の中で笑った。
「どういう関係って・・・、別に何の関係もありませんけれど?」
「嘘!!」
 最後の一人が、泣き声で叫んだ。
「じゃあどうしてあんなに親しいのよ! どうしてデートなんかしているのよ! 奏はねぇ、あたしたちじゃ手の届かない存在なのよ。なのに、あんたはそのバランスを崩して奏に近づいている! 許せない!」
「何勝手にデートなんかしてんのよ。奏はあんたのモノじゃないんだから!」
「いい気になるんじゃねえよ。奏はあんたのようなコドモの相手をするはずがないんだから。勘違いするのもいい加減にしなよ」
 次々に言われて、あたしは返す言葉もない。次第に口許に笑み零れてしまった。
「・・・知っていますよ。桐川先輩はあたしのモノじゃない。だけど先輩方のモノでもないのでは?それに、あたしは桐川先輩のこと何も知りませんし。あたしと先輩は所詮『音楽』でしか繋がっていないんだから」
「ずるいよ!」
 一人が涙を流しながら叫んであたしを睨んだ。
「ずるい、あんたは立場を使って奏に近づいているんじゃないの。あたしたちには出来ないと分かっていて・・・・・・、ずるいよ!!」
 そしてそのまま泣き崩れる。周りの二人が彼女を慰め、あたしを睨んだ。
 あたしは座り込んだままその光景を見た。そんなに好きならもっと別の方法を探せばいいのに。あたしに宣戦布告したって何も始まらないじゃないか。あたしだって、・・・奏の気持ちがどこに向いているか知らないのに。あたしだって泣きたい。この三人のように奏と同じ歳でいたかった。だけど、それを嘆いたって仕方ないとあたしは知っている。
「ずるくなんかないよ」
 あたしは口を開いて、三人をじっと見た。もう敬語なんて使っていられなかった。目の前の三人は、まさかここであたしが喋るとは思ってもいなかったのか、驚いてあたしの顔を見た。
「ずるくなんかない。あたしだって戦っているよ」
 嫌なこと溢れているこの日常でも、あたしは学校へ来るし、奏に会えなくたって奏の音を忘れないで前を向ける。その覚悟を持っている。
 今はもう、自分を強いとは思わない。だけど、怖いものなんてない。あたしだって戦っているよ。本心からの言葉。
 ずるいことなんてしていない。楽なほうに逃げていない。そう強く言って少し経ってから、リーダーが形相を変えてあたしを睨んだ。
「生意気なこと言ってんじゃねえよ!!」
 急にあたしの頬を殴った。
「・・・・・・・・・・・・っ!」
 あたしは声にならない悲鳴をあげる。あたしは両手で顔を守った。そしたら今度はお腹を殴られた。その瞬間吐き気に襲われた。内蔵がぐちゃぐちゃに曲がった気がした。
「・・・・・・そ、そんな、こと、した・・・って・・・・・・」
 三対一で敵うはずがない。しかも今の相手は尋常な精神を持っていない。分かっていても、途切れ途切れになっても、叫ばずにはいられなかった。
「そんな、ことをしたって・・・、あたしの音は壊れないよ・・・・・・!!」
 再びお腹を殴られ、蹴られる。その度にあたしは意識を失いそうになる。だけど、あたしには守りたいものがある。奏に助けてもらったあたしの音。
 昼休みの喧騒が遠くで聞こえる。誰も屋上なんかに上がってこない。助けなんて来ない。太陽がじりじりと直接肌に当たっているようで、熱かった。
「何強がってんのよ!」
「泣いて謝れよ!!」
 聴覚がおかしくなった耳で、そんな叫びが聞こえる。近いような遠いような妙な感覚。吐きそうになる物をどうにか胃の中におさめて、あたしはぼんやりと三人を見た。もう起き上がることさえ出来ない。殴り返すことも出来ない。
 リーダーが傍に寄ってきた。また殴られるのかと思ってあたしは目を閉じる。しかし、衝撃はもうなくなっていた。彼女はゆっくりとあたしの傍にしゃがみ、あたしの手を取ってあたしを見下ろした。
「綺麗な手、してる。ピアノを弾いている人間の指が長いって、本当なんだ?関節太くてさ」
「・・・・・・・・・」
 声が出せないでいるあたしに、彼女は歪んだ笑いを作った。
「この指を潰してあげる。そしたらあんたの音は壊れるでしょ」
「そうそう、偉そうなこと言ったってこのザマじゃん。結局あんたの音は壊れるんだよ」
 あたしは近くにいるふたりを交互に見た。目が笑っていない。本気だと思った。逃げたい、でも逃げられない。この身体は鉛のように重くて、自分の物じゃないみたいだ。
「・・・・・・駄目、それは、先輩、が、褒めてくれた音、だから・・・壊したら、駄目」
「今更何言ってるの」
 リーダーは冷たく笑い、あたしの指をひねった。奏の名前を思いながら、あたしは悲鳴をあげた。


 呼吸をするたびに肺がヒュウヒュウと音を立てて鳴った。もう休憩時間も終わっただろう。三人はとっくに教室に戻って行った。彼女たちの名前さえあたしは知らないまま、このまま泣き寝入りするつもりなのか。
 あたしは熱いコンクリートに転がったままだ。もう指も動かない。殴られた頬が痛いけれど、冷やすものもない。きっとお腹にもあざが出来ている。
 どうして、こんなことになったのだろう。奏を好きだと言ったあの三人を思い出した。それだけで、怒りが腹の底から込み上げてくる。結局あたしなんていなくなればいいのだろうか。それだったら、喜んでそうしたい。
 だって、もうあたしには何も残っていない。頭の中でいろいろ考えていると、生理的に涙が出てきた。それはコンクリートを濡らした。そして、その液体に感情が含まれる。
 悲しい。寂しい。苦しい。あたしは慟哭した。大声で泣いた。たったひとりで、痛むお腹を痛む手で押さえて、立ち上がることもままならないで泣いた。


 指をねんざしたあたしは、それから包帯を巻いて学校へ行った。顔にあざが出来てはいないものの、腫れ上がっているのは一目瞭然だった。
 そしてあたしを見る人々がまた囁き始める。楽しそうに、面白そうに。面白いことなんて何ひとつないというのに。あたしは俯いたまま歩く。
「文化祭でのピアノを降りたらしいぜ」
「ああ、あの怪我じゃ当然だよな。でもざまーみろって感じ?」 こんなときにでさえ、あたしの音は同情もされない。こんな酷い扱われ方。あたしは溢れそうになる涙をこらえる。
「保本優!?」
 久しぶりの声に心臓がドキンと一回大きく脈打った。あたしは恐る恐る前を向く。そこには奏が目を見開いて立っていた。今まで見たことない顔をしていた。
「おまえ、どうしたんだよ。その怪我!」
 あたしは奏を睨んだ。
「・・・・・・先輩のせいです」
 騒がしい廊下の中で、あたしははっきりと言った。奏は一瞬ポカンとしたが、それでも意味を掴めなかったのか顔をしかめた。
 奏の顔を見ても、まだ怒りが湧いてくる。これでは駄目だと分かっている。でもあたしは狂っている。おさまらなかった。
「先輩のせいであたしはこんなになるし、もう二度とあたしの前に顔を出さないで!!」
「・・・・・・おい」
 奏は低い声でつぶやいた。
「何だよ、それ・・・。校内新聞のこと言っているのか?」
「それもあるけれど、それだけじゃない。二度と先輩と話したくない。あたしは先輩なんか大嫌・・・」
 ・・・いです。と最後まで言えなかった。
「―――黙れよ」
 あたしの科白を遮るように、奏は静かに言った。その声には迫力を感じた。今になって、あたしは自分が吐いた言葉を理解する。だけど、奏を睨まずにはいられなかった。
「俺だっておまえなんか嫌いだよ」
 奏は無表情で言う。
「嫌いなおまえの音を、俺は潰すことだって出来るんだぜ?」
「・・・・・・・・・」
 あたしを殴った女子の恐怖なんか比にもならなかった。本気で怖いと思った。奏は本気で言っている。あたしの音を完全に潰せるのだと思った。それは指を潰すという間接的な方法ではなく、直接あたしの音に手を下せるのだと。
 怖くて足が震えて、それでも奏から目を離せなかった。
 殺されると思った。あたしは確かに誰にも殺されない自信があった。だけどそれは奏がいてくれたからだった。奏を敵にまわしてしまった今なら、あたしなんて簡単に殺される。
 しばらく睨みあった後、奏は踵を返して歩いて行った。周りには何事もなかったように人々が行き交っている朝の光景。
 あたしは何も出来ないままその場で立ちすくんでいた。再び指に痛みが走った。

     
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