5 精一杯の告白(前)


 相変わらず学校ではあたしは陰でいろいろ言われていて、友達もいなくて、常にひとりだった。嫌な思いもした。だけど、奏がいたからあたしは学校へ来ることができた。大げさでもなく、奏がいたからあたしはこの戦場で生きていけた。
 それに、もうすぐ学校で一番大きなイベントである文化祭が近づいているからか、周りはあたしに構っているほど暇でもないようで、好都合だった。それでもあたしの記事とどこで撮られたのか分からない写真が載っている新聞は未だに掲示板に貼り付けられたままだし、そう簡単に知名度が変わるわけではないのだけれど。
 その日のホームルームの時間では、文化祭でクラスごとに発表する合唱の曲決めをしていた。クラスのなかにある声を雑音として対処していたあたしは、机にひじをついて、適当にその時間を過ごしていた。
「保本さんがいいと思います」
 名前を呼ばれた気がして、あたしは頭をあげた。あたしの存在感などないに等しいこの教室で、呼ばれるなんて思ってもいなかった。
「何・・・・・・」
「保本さん、聞いてなかったの? 文化祭での合唱の演奏者を決めていたのよ」
 担任が提案をフォローするかのように、あたしに微笑みかける。そんな・・・あたしはまだ弾けないのに。
 だけどそれを言っても無駄だと思った。ここはあたしとは違う世界で、言葉が通じない気がした。クラス中があたしを見て拍手している。
「保本が伴奏したら、絶対優勝だぜ、うちのクラス」
 どこからかそんな声がする。あたしはまだ承諾していないのに、勝手に決まっている。あたしに拒否権がないということか。だいたい合唱が伴奏で優勝するという考えこそが安易で馬鹿馬鹿しい。
「保本さん、いいわね?」 先生までこんな調子だし。あたしはため息をついた。周りとは違う場所で。


 土曜日。待ち合わせは午前十時。その二十分前にあたしは玄関でミュールを履いた。足首でリボンを結ぶデザインで、履くのは面倒だけどお気に入りだ。
「優、どこへ行くの?」
 母がリビングからスリッパの音を立てて来た。
「うんちょっと・・・、楽器店に」
「楽器店? ・・・・・・誰と? 佳苗ちゃんじゃないわよねぇ?」
「えっと・・・トモダチと」
 答えながら、奏はあたしにとって何なんだろうと密かに思った。母相手だからトモダチと誤魔化しておいたけれど、実際は違う。
 あたしは母に行ってきますと言って、ドアを出た。


 駅前の大きな時計が一秒ごとに動いていく。あたしはそれを見上げながら奏を待っていた。学校の外で会うのは初めてだ。自分でも浮かれすぎだと思う。まだ着たことのなかった秋初めにふさわしいブラウン色のTシャツに、デニムのスカート。
 ふと前に視線を動かすと、奏が歩いてくるのが見えた。
「よぉ」
 一言だけを投げかけられ、あたしは目の前の奏を見上げる。
「おはようございます」
 わりと高いヒールを履いているのに、まだ奏のほうが背が高かった。


「おまえキーボードとかって弾くのか?」
 楽器店に行く途中、奏はあたしに訊いた。
「キーボードっていうか、電子ピアノを時々。でもやっぱりタッチが違うし、あたしはピアノのほうが好きなんだけど、お姉ちゃんがポピュラーにはまっていたことがあって、そのときから家に置いてあるんだ」
「電子ピアノでポピュラーを弾くのか?」
「うん、そうみたいだよ。多重録音でトラックを重ねて、弾いていたよ」
「・・・すげえな、おまえの姉貴も」
 奏は苦笑する。そして、少し誇らしげに言った。
「俺もキーボードとかで音色変えるの好きだったぜ。こうボタン押すとさ、リズムとか出てきて面白いじゃん。子供の頃のおもちゃだったな」
「贅沢だね」
「そうだな・・・、ちょっと特殊かも、俺の家」
 曖昧に答えるけれど、それ以上言わなかったのであたしも訊ねないことにした。奏の家に興味がないって言ったら嘘になるけれど、あたしたちの間にあるものは何なのか、あたしはもう実感として分かってしまっているから。
 これ以上傲慢にはなれない。
 あたしたちは開店したばかりのピカピカ輝いている自動ドアをくぐった。
「あれ、触ってみようぜ」
 目を輝かせて奏は指を指す。なんだか可笑しくてあたしは口を開けて笑った。
「・・・何だ?」
「だって、先輩、すごい、子供みたいなんだもん」
「普通だろ? こんなに鍵盤が並んでいるんだぜ? 興奮するだろうが」
「それって、先輩の普通であって、周りには普通じゃないよ」
 笑いすぎて息継ぎするタイミングすら掴めない。自分がこんなに笑えるなんて初めて知った。奏が普通の少年のように見えて、微笑ましくも大笑いをしてしまうなんて。
「言うじゃねえか。おまえだって普通じゃないだろ、保本優」
「先輩ほどじゃないけれど」
「俺に盾突く気か?」
 奏はあたしの手を引っ張って早足で歩き、先ほど指したキーボードの前に立った。
「何するの?」
「連弾。しかも即興。おまえ得意だろ?」
「え・・・? 連弾で即興・・・? できないよそんなの」
「だっておまえ、アレだろ? 『即興のプロ』」
 強く言われて、あたしは一瞬絶句した。そして、思い出す。
「そんな昔に言ったこと覚えてなくていいよ!」
「昔っていったって、まだ数ヶ月前のことじゃねえか」
 二人で文句言いながら、奏はあたしの右に立った。嫌だな、メロディーを弾くつもりなのだ。ということは、あたしは伴奏を弾かなければならない。
「準備オーライ?」
「まだって言っても、先輩もう弾き始める気満々でしょ」
 そんなこんなで、先輩がメロディーをかなで始めた。その瞬間に音楽が始まる。あたしも少し遅れてその中に入っていく。まずは和音を並べる。飛び込むように、だけど勇気なんていらない。だって奏がいてくれる。
 弾いている間、心臓が震えていて、あたしこのまま死んじゃったらどうしようなんて馬鹿なこと考えて。でもこのまま死ねるんだったら最高に幸せだと思った。
 きっと、あたしと奏は同じような世界を持っている。それをいつか共有できたらいいと思った。そしたら、迷わずにいつだってこんな風に一緒に音を創り上げられるのに。
「あ、先輩ヒドイ! 急に変調するなんて鬼畜だよ!」
 慌てて和音を変えたりして。今度は仕返しをしたりして。
「お、おまえその音の羅列はないだろ!」
「先輩がメロディー変えるのが悪いんじゃん?」
「じゃあこうしてやる」
「あーっ、ちょっと待って! 崩れる、タンマ、タンマ!」
 ここが店の中ということも忘れて、あたしたちはひとつの曲を作ることに夢中で。今までこんな気分を味わったことがない。今ここに在る音を見て、自分の音を命がけで必死に捜している。
 鍵盤叩くって、曲を作るって、こんなにも楽しい。
「おまえさ、弾けるじゃん。昔よりいい感じじゃん?」
「あ・・・・・・・・・っ」
 自分が弾ける状態ではなかったことを思い出した。奏に言われて、あたしの指は自然に動いていたことに感激した。
 奏のリハビリは効果絶大で、あたしたちはずっとその音楽を追い続けていた。

    
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