ストロベリーラブ
06 馬鹿とハサミ


 気付けば世間は夏休みだ。
 あたしは肩まで伸ばしている髪の毛をくしで思い切り頭のてっぺんにあげて、イマドキのポニテールを作ってみた。
 髪型ひとつで気分が変わるっていうけれど、受験生にはそんなものも通用しないみたいだ。あたしの心の鬱は止まらないんだけどな。
 だけど。
 携帯のメールの着信音。あたしはベッドの上に置いてある携帯まで走って、パカっと開いてみたら、思ったとおり薫からだった。
 髪型でも変わらない気分は、薫の存在で変わる。どうやらあたしのツボはここにあるようだ。
『実は俺も今日はK塾に行くんだ。偶然会ったとき声かけてくれなきゃ泣くからね(笑)』
 っていうか、何これ! 聞いていなかったんだけど! カッコ笑いなんてつけている場合じゃないでしょ! 驚きすぎて思わず電話しそうになってしまった・・・。
 薫も高二だし、別に塾に行くのがおかしいわけではない。あたしも去年英語と数学の夏期講習には行ったし。だけど、だけどさ。なんで薫には塾が似合わないと一瞬でも思ってしまうんだろう。
 妙に高鳴る鼓動を自覚しながら、あたしはテキストを鞄に詰め込んで外に出た。


 込み合う電車には冷房など効きやしない、これこそ豚に真珠ってやつなのかな。脂まみれの親父が紺色のハンカチで垂れる汗を拭いている、朝から見る景色といえばこんなものばかり。夏といえばもっと弾けたい、それこそ開放感に溢れる季節なのに、あたしってば何やってんだろう。お気に入りのトートバッグを握り締めて、人の熱気で蒸した車内でため息をつく。
 終点の大きな駅につくと、これみよがしにみんな風を求めて車内から飛び降りる。あたしも波に乗って、家からの最寄り駅とは規模が全く違うホームに降りた。
 歩いて数分、塾について、後ろから三列目の席に座る。朝イチの授業の時間帯だというのに、教室はすでに冷房が効いており、腿の裏に触る椅子がほんのり冷たい。いつから冷房がついているんだろう。
 あたしが通う学校は公立だから、初めは塾の冷房完備には感動した。だけど、一時間もこんな中にいたら、寒くて半袖ではとても耐えられなくて、あたしは七分袖のパーカーを持ってきている。初めて塾で講義受けたときは、当然それを準備していなかったし、人口的な寒さに具合が悪くなって吐き気がしたものだった。
 やがて控えめな音でチャイムが鳴り、有名講師が教室に入ってくる。眠たい一時間目、それでもみんな必死に先生の話を聞いて、ノートをとる。あたしも遅れないようにそうしながらも、教室のみんなの背中を見つめていた。背中が丸まっていて、だけどみんな半袖やノンスリーブを着ていて、季節感が矛盾しているように思った。


 授業が終わって、自習室に入る。廊下では友達同士が楽しそうに喋っていた。あたしは塾内には友達がいない。中には同じ高校の人同士が喋っていたりするけれど、あたしと同じ高校の親しい友達は、みんなあたしと違うコースや授業をとったし、それ以外の人であたしと同じ制服を着ている人を見かけるけれど、たいして仲良くもないのに一緒につるもうとは思わない。必死に話題を捜して、大して楽しくもないのに無理に笑って無駄な時間を過ごすくらいだったら、一人で勉強していたほうがマシだ。
 だけど、ずっと一人で勉強していて、難しくて解けない問題にぶつかったとき、ふと寂しくなる。何度考えても分からなくて、あたしは嘆息して自習室を出た。
 どうせ廊下に出ても喋っている人がたくさんいるし、余計孤独で惨めになるだけで、気分転換にならないと分かっているんだけれど。
 そのときふいに。
「朱美ちゃん!」
 廊下の向こうの、階段のほうから聞き覚えのある愛しい声。
「・・・薫」
「うわ、まさか会うとは思わなかった。本当に会ったね。俺、今から講義でさ」
「声、かけないと泣くって?」
「素で言われると微妙(笑)」
「メールの返事、しなくてごめんね。朝、バタバタしてて。電車の中でしようと思ったら満員だし」
「朱美ちゃん、俺のカッコ笑いをさりげなくスルーしないでくれる?」
 いつまでもこんな時間が続くとは思わない。だけど、最高の気分転換だよ、薫。あたしは嬉しくて目を細めた。
「薫、今から講義、なんでしょ」
「うん、せっかく会えたのにね」
「一人?友達と来ているの?」
「うーん、同じクラスの奴なら会ったけれどね。そんな仲良くないし。朱美ちゃん、昼ごはん俺と一緒に食べる?」
「・・・いいの?」
「当たり前だよ」
 なんでもないように笑う薫を見て、あたしはこれまでにない感情を覚えた。強がっていたけれど、あたし、一人で寂しかったんだ。だけど、友達を作る勇気も元気もなくて途方に暮れていた。テキストを開けば難しい問題ばかりが目に入ってくるし、どうしようもなくなっていたんだ。
「・・・・・・ありがとう」
 あたしが言うと、薫は目を丸くした。
「どうしたの、朱美ちゃん、そのくらいでお礼言うキャラじゃないでしょ?」
「なあに、それ?ひどいなー」
 二人でクスクス笑い合って、ふと急に、キスしたいって思った。薫にぎゅっと抱きついて、隙間ないほど抱きついて、甘いキスを交わしたいんだけどな。でも場所が場所だし。そんなことを冷静に考える。
「・・・朱美ちゃん? どうかした?」
「え、ううん、なんでもない」
 心中を悟られるのはさすがに恥ずかしくて、あたしは曖昧に濁しておく。
 薫は左手の格好いい腕時計を眺めた。もうすぐ時間になってしまう。
「俺は、今も朱美ちゃんの役に立てた?」
 ちょっと切なそうに顔を歪めて、薫はあたしに言った。
「え?」
「俺、どう頑張っても朱美ちゃんに追いつけないし、でも、朱美ちゃんは俺を見て笑ってくれたから・・・、少し自惚れてみたんだ」
「何を言っているの?」
 あたしは笑う。
「いつも、薫の存在で救われるよ」
 そう言うと、薫も少し照れたように笑った。その笑い方は、去年あたしが頬にキスをしたときよりも大人びていて、あたしたちは確実に成長し、時間を刻んでいると思い知らされた。
「あのね」
 あたしは薫の手を引っ張った。
「朱美ちゃん、どこ行くの? 俺今から講義なんだけど」
「ちょっとだけ、ね」
 階段の隅の、人だかりから死角の場所に、華奢な薫を押し込む。
「・・・朱美ちゃん、俺をこんなところに閉じ込めて、何する気?」
「甘いキスをね」
 あたしが言うと、薫は目を細めて笑った。もうこんなことでいちいち顔を赤くすることはなくなったけれど、今でも大好きだよ薫。
 その存在で、あたしは今笑っていられるんだからね。


     
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