ドラッグのようだ。一度知ったシーツの感触を離すことができず、俺はあの日からも遥のベッドに潜り込む。 遥は文句を言いながらも俺を受け入れてくれる。そして、気持ち良さそうに俺の頭を撫でるのだ。完璧に俺を男として見ていないということか。・・・まあいいけれど。 そういえば俺は遥の恋愛事情を知らないなと今更改めて気付いた。俺なんかを家に住まわせるくらいなのだから、彼氏はいないのだろうけれど。 「知樹、バイトはどんな感じ?」 眠い目をこすりながら、横で遥は訊いた。 「どうにかやっているよ」 「ファーストフード店だったっけ」 こうして穏やかに話していると、長い間付き合っている恋人といるような気がしてくる。特に、夜に暗い場所でお互いの声だけで会話していると。 「明日も朝から?」 「うん、遥もだろ?」 「そうだけど・・・、今は知樹も働いているのに、ご飯作らせてごめんね」 「いいよ、遥はその他の家事してくれているじゃん」 俺が静かに言うと、横で遥が微笑んだ。 「もう寝ようか」 「うん、おやすみ。遥」 遥の頬にキスをして、俺たちは眠りに就く。家族でも恋人でもないのに、毎日こうして一日を終わらせている。よく考えてみるととても奇妙だった。俺と遥を繋げているものは何だろう。俺たちの関係は何と呼べばよいのだろう。
従業員室で休憩していると、ノックが聞こえた。机に伏せていた俺は慌てて頭をあげた。 「休憩いただきまーす」 入ってきたのは先輩である大芝さんだった。長い髪を一つにまとめて、小柄な体でも一生懸命働いている様子が見ていて気持ちよかった。何より、彼女は俺に対して全く先輩面をしなかった。他の店員のように、どこか冷めた気持ちで俺を見下したりせずに、等身大で話してくれた。 「あ、加上くん、お疲れ様ー、あたしに気を遣わなくていいよ。眠いんですか?」 微笑みながら彼女は言いながら俺の前に座った。 「あ、いや・・・、ちょっと疲れて・・・」 「うん、疲れるよね。あたしも最初の頃は失敗ばかりするし、疲れてばかりで本当に嫌だったよ。それに比べて加上くんは仕事もしっかりしているし、すごいよね」 鞄からペットボトルを取り出して、一口飲んでから肩をすくめて彼女は言う。顔小さいな、とぼんやりした頭の中で俺はとてもどうでもいいことを思う。 遥も背は高くないけれど、ここまで小さいイメージはない。それに、遥のほうが見た目はもっとしっかりしてみえる。大芝さんのようなタイプはほとんどの男に対して「守ってあげたい」気持ちを引き出させる。遥は一見そんなことはない。自分で対処して見える。でもそれは見た目で判断しただけであって、本当はとても脆くて弱い女だったけれども、今はそれを知るのは俺だけでいいと思う。 「別にすごくなんてないですよ」 特に卑下するわけでもなく正直に言うと、大芝さんは目を丸くして俺を見た。 「謙遜するんだね。加上くんって今までバイトの経験は?」 「ないですよ」 金を稼いだことはありますけれど。でも実際こんなに健全なバイトは初めてなので、敢えて自爆する道を選ばない答え方をする。 「・・・・・・そうだよね」 小さな返答が返ってきた気がして、俺は思わず顔をあげる。まさか。動悸が早まった。 まさか歳を誤魔化しているのがバレたのか? 歳を誤魔化したのは、高校生よりも十八歳以上のほうが時給が高いから、という理由からではない。ただ面倒だったのだ。俺は十五歳だけど高校生ではない。それなのに、求人情報誌には俺のような人間対象がないように見えた。学校に行っていないその理由を言わなければならないのか? 高校は義務教育ではないことくらい知っている。特にやましいことなんてないと分かっていても、俺はその面倒を避けるように歳を偽り、十八歳だと言ってしまったのだ。店長は何の疑問も持たなかったけれど、そういえば大芝さんの俺を見る目が厳しかったような気が、しないでもない。 あと五分で休憩が終わる。早くこの場を離れたかったが、だからと言って早くキッチンに入って疲れる必要もない。ただ俺は大芝さんから逃れるように鞄から最近買った携帯電話を取り出した。 メールが来ていた。遥からだった。
今日は六時あがりだけど、ちょっと寄らなければならないところがあるので少し遅くなります。 それで、お願いなんだけど、今日レンタルショップ半額だからスターウォーズのDVD借りてきてくれる?エピソード2ね! 遥より
俺は画面をスクロールし終えて、ため息をついた。ときどきこうして遥は自分の見たい映画やドラマを借りてきて、休日などに二人で見たことはあった。スターウォーズが映画であることくらいは分かるけれど、恥ずかしながらひとりでレンタルショップとやらに行ったことがなかった。普通の男子が持っている常識を、俺は持っていないのだ。 どうしようか、俺は目の前にいる大芝さんの存在に気付いた。俺のほうをじっと見ている。その人を観察するような視線やめて欲しい。 「メール、彼女に?」 「いえ・・・」 俺は首を横に振り、思い切って言ってみた。 「あの、すごくつまらない質問なんですけれど、レンタルショップのカードを作るにはどうすればいいんですか?」 「何か借りるの?」 「スターウォーズ。エピソード2です」 俺が答えると、彼女は表情を緩めた。 「え? もしかしたら、それを借りるつもり?」 さっきからそう言っているだろ。そう思ったけれど、俺はただうなずいた。 「なんだ、あたし、スターウォーズは全部持っているよ。わざわざお金払って借りることないじゃん。あたしが貸そうか?」 「え・・・・・・・・・」 急な科白に俺は戸惑ってしまった。 「でも、悪いし・・・」 「悪くないよ!ってか、実はあたし、高校時代すごく好きでさー、思わず実家から持ってきてしまったくらい。でも今はあまり見ないし、貸すよ。わあ、なんか話せる人がいて嬉しいなー」 嫌味じゃない笑顔で彼女は語る。営業スマイルとは違う本当の笑顔だった。可愛らしいとは思うけれど、いちいち遥と比べてしまう自分にくたびれてしまっていた。それでも、わざわざレンタルショップまで足を運ばなくていいというのは魅力的だった。 「加上くんは六時あがり?」 「はい」 「あ、あたしもだ。じゃあ、帰りにあたしの家に寄っていこう?」 彼女のはっきりとした性格のせいか、あっという間に決まってしまった。
午後六時に仕事を終え、着替えて少し経ってから彼女が更衣室から出てきた。 「ごめんね、さっきは勢いで言っちゃったけれど、迷惑じゃない?」 「いや、俺のほうが、借りていいのかなって」 「それは全然いいよ!」 彼女の足取りは遥の家と同じ方向に向かった。 「そういえば、加上くんって家どこ?」 俺は遥の部屋の住所を途中まで答えると、彼女は近いねと笑った。彼女の家は俺の帰り道の途中にあるようだった。 「大芝さんはDVDを実家から全部持ってきたって言っていたけれど、一人暮らしなんですか?」 俺が聞くと、彼女は少しため息をついた。 「ううん、兄のマンションに住んでいるんだ」 「あ、お兄さん・・・? 俺が行っても大丈夫ですか?」 「大丈夫、どうせまだ仕事から帰ってきていないだろうし・・・。別にいたって構わないよ。少しは現実を知れって話でしょ」 「・・・・・・・・・?」 俺は彼女の科白の真意がよく分からず、眉をひそめた。その言葉は独り言のようにも聞こえたので聞き返すことはしなかった。 遥の部屋が見えてからもしばらく歩いたあと、大芝さんが住んでいるというマンションが見えてきた。俺たちのアパートよりも立派だった。エレベーターに乗って、降りてからいくつかのドアを通り過ぎると、大芝さんは今年流行っていそうな白い鞄から鍵を取り出した。 「じゃあ、どうぞ、入ってー」 彼女はドアを開けて、俺に先に入るように促した。俺はどうも出来ずに言葉に甘えて、先に玄関に入り、靴を脱ごうとした。 横にも下駄箱があるけれど、玄関にも靴があった。男物のスニーカーが一足と、女物のパンプスが一足。その紫色のパンプスはどこかで見覚えがあった。 「あれ、孝則帰ってきているのかな」 俺の後ろで大芝さんが言った。 「ただいまー、孝則帰っているのー?」 俺の背を押して廊下を歩きながら彼女は声をあげた。 「孝則?」 ドアを開けたとき、大芝さんの息が止まったのが気配で分かった。その一秒後、俺も呼吸の仕方を忘れたように、身動きひとつ出来なくなった。 部屋にいたのは。 「・・・・・・・・・知樹?」 毎日眺めている瞳を大きく見開いている。その弱さや涙は俺だけが知っていればいいと傲慢に思っていたりもした。 その部屋にいたのは、見知らぬ男と遥だった。
|