第二部
1 まぶしすぎる太陽


 その笑顔と温かさは俺の心を乱した。まるで触れたことのない太陽のように、静かに静かに闇の中に溶け込んで、いつしかその世界を支配していた。彼女は俺にとってそんな存在だった。
 彼女が俺に対して何の感情を抱いているか、たいして期待はできないが、それでも一種の愛情はあると思っている。無償の愛、今まで俺が受けたことのないモノだった。偽りのない優しさを与えられるたびに俺はその中に溺れたくなる感覚を受けた。このままでは駄目だと分かっていても止められない。一度は切り離そうとした生活を、再びずるずると続けようとしている。きっと純粋な彼女は知らない。この生活の行く末を。


 彼女に会うまでは、最悪な毎日だった。いや、最悪と呼べるのは今の生活があるからで、当時は必死にもがいて生きていた結果で、それはそれである意味幸せと呼べたのかもしれないけれど。
 俺は親の顔を知らない。生まれてすぐ公園にある網のゴミ箱に、他の空き缶と一緒に捨てられていたのだという。厚い毛布に包まれていなければ、俺はその時点であの世行きだったのかもしれなかったと後から聞いた。
 幼い頃からおとなしい子供だと言われていた。当然だった。今更何を話せばよいというのだ。不必要なことを口に出そうなんて思いもしない。それは言葉だけではなく、気持ちも感情も全てそうやってシャットアウトしてきたように思う。それはどんどん積み重なり、小さな俺の体では受け止められなくなった頃。
 ・・・爆発した。
 人間はなんて強欲で虚しい生き物なのだろう。いっそのこと世界から消えてしまえばいいのに。自分が人間であることも忘れてそんなことを思ったりした。
 悪いことばかりやっていた。中学なんて通っていないのも同然だ。誰かに呼び止められて欲しい気持ちと、自分の行く道を塞がないで欲しい気持ち、その二つに葛藤を覚えながら、それを紛らわすように日々過ごしていた。適当に仲間とつるんで適当に女に声をかけて、一夜限りの関係を作る、そんな毎日。
 このままでは駄目だと、あの頃にも自制心はあった。それでもどうすればよいのか分からなくて途方に暮れていた中学三年のとき、あの女に声をかけられた。
 ルミ。俺の親と同じように、最初から捨てるつもりで拾い、そしてあっけなく捨てた高尚を気取った女。
 そして、俺は身体を売ってしまった。これから生きていくために、どうしても金が必要だった。他に方法なんて思いもつかなかった。相場なんて知らないけれど、今まで触ったこともないほどの大金が舞い込んでくる。金に溺れる、まさにそんな感覚。結局捨てられるまで関係を続けてしまった。
 でも今になって思う。あの夜に捨てられたからこそ、遥に出逢えたのだと。


 目を覚ますと遥の寝顔に出逢えた。同じベッドの中だというのに、安心しきった顔で寝ている。俺は苦笑し、指で遥の頬をそっとなぞった。柔らかくて温かい、今までこんな感情に襲われたことはなかった。これを何と呼べばよいのだろう。
 言葉にしたくてもできない気持ち。俺は汚れた人間なのだ。そんな感情を自覚することなんて身分違いも甚だしい。
 指を離すと彼女の瞼が動いた。
「ん・・・、知樹・・・・・・?」
 うっすらと目を開けて、俺を確認する。
「おはよう、遥」
「・・・おはよ」
 それでもまだ完全に眠りから解放されていないようで、遥はそのまままた眠りに就こうとする。
「遥、今日もバイトだろ?そろそろ起きなきゃ」
「・・・いま何時」
「七時半」
「まだ大丈夫だよ・・・、眠いし・・・」
 誘惑に勝てないのか、遥の瞼は再び閉じてしまった。俺はぼんやりと頭を掻いたあと、思い切って遥の身体を抱きしめてみた。
「わっ、何するの!」
 突然遥は大声をあげた。完全に目が覚めたらしい。
「・・・起きた?」
「起きたよ! っていうか、なんで・・・・・・」
 言いかけて、ああ、と遥はつぶやいた。
「・・・ごめん、寝ぼけていた。一緒に寝たんだよね、昨日」
「うん、言っておくけれど何もしてないよ?」
「その状態で言われても説得力ないよ。何もしてないことくらい分かるけれどさ」
 俺は遥を離さないままでいる。温かいと思う。Tシャツの上からでもはっきりと分かる人間の体温。とても心地よくて、このまま離したくない。遥は嘆息して、俺の頭を撫でた。
「知樹、実はすごく甘えたがり屋?」
「うん、そうかも・・・。だって遥ってあったかいんだもん」
「知樹のほうが温かいけれど」
 微笑して、起きようか、と遥は無理やり俺から離れた。名残惜しさが残るが、そろそろ本当に準備しなくてはならないので、俺もベッドから出る。
 朝食は俺の担当だ。というより、遥に任せると、朝食はあまりにも寂しすぎた。平気でヨーグルトだけやコーヒーだけというメニューを朝食に仕立てあげる。それは食事とはいえないじゃないかと俺は朝からキッチンに向かう。
 料理の経験はないけれど、嫌いではなかった。遥の家で埃被っていた料理本を片手にそれなりに作れば、遥はおいしいと笑ってくれた。その瞬間がとても幸せだった。俺がここにいる意味は少しでもあるのだと思うと嬉しくて顔がほころんだ。
 食パンをトースターに入れ、その間に熱したフライパンの上に卵を割って落とす。いい時間を見計らってレタスと一緒に目玉焼きを皿に載せ、パンと一緒にテーブルに置く。遥は半熟が好きなのだ。
「知樹は、これからどうするの?」
 俺がキッチンにいる間に着替えやメイクを済ました遥が、ソファに座ってコーヒーを飲みながら言った。
「うん・・・、とりあえず、これからしようと思っていた住み込みのバイトを断って、普通のバイトを探すよ」
「そう。断ることちゃんとできる?」
「うん、まだ決定してなかったから。電話で面接の時間を聞いただけだったし」
 俺が言うと、遥は安心したように笑った。本当に俺が出て行くことが嫌だったのだなと実感する。最初は信じられなかった。義理や優しさで言っているだけで、きっと遥にとって負担だと思っていた。でも、今はこの遥の笑顔を見るとそれは違うと思える。俺はこの部屋に住んでいいのだと思える。いつまで続くか分からなくても。


 遥がバイトに行った後、俺は街に出てそのついでに無料で配布されている求人情報誌を手にとった。十五歳という俺に昼からまともに働かせてくれる場所はあるのだろうか。俺はため息をついて、そのまま家に向かって歩き出した。太陽は俺の現状を笑っているのだろうか、俺たちの行く末をすでに見えているのだろうか、ただ頭の上をさんさんと照らしていた。
 それでも、今は何があっても捨て切れなかったこの道の途中にしがみつきたい。





       
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