3 人質扱い


 情けなんてかけてやるんじゃなかった。きっとあのときの私はどうかしていたのだ。


 慣れないソファの上で毛布一枚をかけて寝ていたときに、揺さぶり起こされたのが午前四時。
 一瞬私はなぜ自分がこんなトコロで寝ているのかも理解出来なかったし、何よりひとりで住んでいるはずのこの部屋で誰かに起こされるという状況に困惑していた。
「何・・・っ」
 部屋の中は真っ暗で、まだ寝ぼけたままの目は暗闇に慣れていない。
「あのさ、俺なんでここにいるんだ!?」
 勢いのある初めて聴く声。私の傍で床に座っているのは誰?そんなことを頭の中で考えて、やっと理解した。
「ああ・・・、君、マンションの入り口付近で倒れていたから、連れてきちゃっただけ・・・。もう熱は大丈夫なの?」
 私はまだ事の重大さも分からずに、髪を掻きあげて言う。
「どうして・・・、他にもっと方法はあっただろうに・・・」
「分からないけど・・・、なんとなく早く寝かしてあげなきゃって思っただけよ」
 暗闇の中で、やっと目が慣れてきても彼の顔は見えなくて輪郭しか確認できない。
「まあ、でも起きることができてよかった。治るまでここで寝てるといいよ。治ったら早く帰らなきゃ、ご両親が心配しているんじゃないの?」
 私が言うと、彼の目が釣りあがったように見えた。いや、見えるはずもないのだけれど、張り詰めた空気で彼が今どんな顔をしているのか分かってしまったのだ。
「心配している奴なんて誰もいねーよ!!」
彼は吐き捨てるように言う。
「そんな・・・、だって君はまだ高校生・・・くらいでしょう?」
「だから何」
 彼の鋭い視線が私を貫く。暗闇の中に浮かぶ彼の瞳。怖かった。
「でも、ケイサツとか救急車とか呼ばなかったことに、あんたには感謝しているよ」
 不敵に笑って、彼は言う。その科白に私は背筋の冷たさに震えた。何も言うことが出来なかった。そこにつけこんだのか、彼のその後の科白は信じられないものだった。
「迷惑ついでに俺をここに置いてくれないか?」
 彼は私の顔を知らないというのに、何を言い出すのだろう。私はしばらくの間、口をぽっかりと開いたまま黒くしか映らない彼を見ていた。


 お茶でも飲もうと切り出したのは私だ。まずは電気を付けた。ふたりで突然の人口的なまぶしさに怯み、次第に慣れてきた目でお互いを見つめた。
 やはり昨夜見たとおり彼は端正な顔立ちをしていた。どこにも無駄がなく整っている分、彼の放つ視線は他人に畏怖を与えているように思った。
「あんたの顔を見たの初めてだ」
 彼の声にはっとなって、私は立ち上がった。
「けっこう美人じゃん?」
「ふざけたこと言わないで。ほら、床の上じゃ風邪をぶり返すから、ソファの上に座ったら?」
 言い放って私は台所へ逃げる。
 コーヒーメーカーの電源を入れ、コーヒーを淹れる。
「あんた名前は?」
 私に言われたとおりソファに座った彼が声を張り上げる。
「答える義務なんてないと思うけど」
「どうして? 一緒に暮らすんだったら名前くらい教えあったほうがいいと思うけれどな」
「ふざけないで!! ここは私の家なんだよ? まだ私は承諾していないでしょ? 勝手に決めないでよ!」
 彼の勝ち誇った笑みにこらえきれなくなり、私はまだ夜中だというのに叫んだ。
「あんた何も分かっていないね」
 彼は表情を崩さないまま言う。
「俺は未成年なんだぜ? もし俺がここで警察に、あんたに誘拐されたと言ったらどうなるだろうな」
「・・・・・・・・・・・・」
 背筋に何か冷たいものが流れていく。私は狭い台所のなかで一歩後ずさった。彼は相変わらずソファの上で余裕な表情でいるけれど、それでも彼が言いたいことは分かる。
「さすがにそこまで言われても分からないほど馬鹿じゃないよな」
 これは脅迫とは変わらないではないか。
 今頃になって私は昨夜の行為をひどく後悔した。人間を拾うなんて行為は、やっぱりどう考えても間違っていた。


 今日も朝からバイトがあるためもう一度寝ようとソファに寝転がっても、恐怖のせいで目が冴えて眠らないまま朝を迎えた、午前七時。
「ねえ、私バイトがあるから、出かけるけれど、君はどうするの?」
 私は渋々とベッドの傍に近寄り、再び眠った彼に声をかけてみる。
「ん・・・、あんたさ、名前は?」
「・・・・・・今は忙しいの。そんなこと言っている場合じゃないでしょ?私の質問に答えて」
「俺は寝とくよ。だるいから・・・」
 さっき私を脅した彼とは別人のような声で彼はつぶやく。思わず私は彼の額に手を当てた。
「まだ熱あるじゃない! 人を脅迫する前に自分の体調管理をどうにかしたら!?」
「脅迫って・・・、人聞きの悪い・・・」
「そのままじゃないの」
「本当・・・、迷惑だと思っているさ。でも、頼むから俺を置いてくれるだけでいい。俺も金ならあるし、バイトもする。あんたに手出しはしない」
 潤いを含んだ彼の瞳にまっすぐ見つめられると何も言い返せなかった。まるで彼には帰る場所などないと訴えられたように感じた。
「君、熱高いんじゃないの」
「君じゃないよ。知樹(ともき)って呼んで」
 私の話などまるで聞いていない。どっちが知樹の人格なのだろう。するどい瞳で私に畏怖を与えた彼と、今のように弱々しい瞳で必死に私に縋る彼。
 私は立ち上がって、冷凍庫の中から氷まくらを取り出して、知樹の頭元に置いた。
「あんた優しいね」
「人を脅すようなことをするからバチがあたったんじゃないの?」
 私の科白に知樹は小さく笑ったようだった。
 ため息をついて私は携帯電話をもち、プッシュした。


 寝ている知樹を家に置いたまま、私は歩いて近くのドラッグストアに来た。
 結局バイトを休んでしまった。それは知樹のせいではない、私の意志だ。あんな少年のために何をやっているのだろうと私は時々ひどく考え込んでしまう。それでも放っておけない。知樹を連れ込んだのは確かに私で、その責任は私が負わなくてはならない。
 もう私は中学生でも高校生でもなく、社会人となってしまったオトナなのだから。
「いらっしゃいませ」
 感じのいい店員に声をかけられる。私は持っていた鞄を握り締めて口を開いた。
「体温計と風邪薬、ください」


 昨日とは打って変わり、今日は見事な快晴だった。雲のない青空が太陽を見せている。午後二時、まだ昼食を摂っていない私はお腹が鳴るのをこらえながら家へ向かっていた。
 知樹は起きているのだろうか。もし起きているならお腹を空かしているかもしれない。急ぎ足で歩いていると、鞄のなかに入っている電話がなった。
 大芝孝則。携帯の表示画面を見て、私は一瞬咳き込んだ。昨日負った傷が開きそうになるのを感じた。
「もしもし・・・?」
『あ、遥? おまえがバイト休むなんて、どうしたんだ? 風邪か?』
「・・・うん、風邪。風邪ひいてしまったの」
 孝則に妙な気を遣わせたくなくて、私は嘘をつく。知樹が風邪をひいているから嘘にはならないと自分に言い聞かせながら。
『・・・・・・・・・。もし、俺のせいでバイトに来にくいというんだったら・・・』
「違う!」
 私は孝則の言葉を遮った。
「違うから、本当に風邪をひいたの。私は大丈夫だから、変に気を遣われるほうが困るんだから!」
 ―――私はもうあなたのことなんて好きじゃない。
 言えたらよかった。だけど言えなかった。そんな嘘をつくのは何よりも悲しいことだった。
『ならいいけれど・・・』
 安堵しきれていない孝則の声が、耳元で聴こえる。
「明日はちゃんと行くから、心配しないで」
 孝則の返事を待たずに受話器を切った。


 家に帰ったら知樹はベッドの上で起きていた。
「体温計を買ってきたの。計ってみて」
「・・・今まで体温計なかったのか?」
「なくても支障がなかったから」
 私は新品の体温計を知樹に渡して、キッチンに向かった。
 簡単に雑炊を作って、テーブルの上に置く。
「お昼ご飯、食べたかったらこっちに来て」
 部屋の隅にあるベッドにいる知樹を呼んで、私たちは遅い昼食を摂った。
 知樹は風邪をひいているわりにはよく食べた。食べ盛りの年頃なのだろうと私は今になって気付く。もっと大量に作るべきだったのかもしれない。
「知樹って、何歳なの?」
「その前にあんたの名前を訊きたいんだけど」
 私の質問をはぐらかすように知樹は笑う。
「俺はもう名乗っただろ? 次はあんたの番だ」
「・・・遥」
 私は下の名前だけを名乗っておく。すると、知樹は微笑んだ。
「遥、ね」
「私のほうが年上なんだけど」
「遥って料理上手? コレすごく美味いよ」
 相変わらず私の話を聞かずに知樹はマイペースに話す。
 騙されたのかもしれない。なんだか可笑しくなって私は笑った。美味しいって言われたことが嬉しかったのか、単に知樹のマイペースぶりに呆れたのか分からなかったけれど。
「遥の笑った顔、初めて見た」
 知樹はそう言って、私の唇に自分自身のそれを近づけた。一瞬の触れるだけの軽いキス。雑炊を食べていた彼の唇は温かかった。
 ―――手出ししないって言ったくせに嘘つき。
 こんな人質のような扱いをされているというのに、抵抗できなかったのは何故だろう。


       
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