時間は瞬く間に流れて、とうとうセンター試験も終わり、私大入試も終えた。 あれから薫と廊下ですれ違うことはあっても、あたしはうつむいてしまい、薫があたしを見ていたのかどうかは分からない。 三学期になれば受験期間のため学校に行かなくてもよくなり、それがあたしの救いだった。学校にもその通学路にも、思い出がありすぎる。
携帯にメールが届いてあたしはビクリと肩を震わせた。 恐る恐る携帯の画面を見る。懐かしい名前だった。宏一。およそ二年前に別れた元彼氏。・・・ううん、彼氏だなんて威張って言えないのかもしれない。あの頃のあたしは彼を大事にしていなかった。大事にするってどういうことか分からなかったから。
(タイトルなし) もうすぐ卒業だよな?オメデトウ。 俺も大学卒業です。無事就職できそうです。 そして五月に結婚します。 アケミは元気?俺も幸せになるから、アケミもお幸せに。
あたしは宏一を大事に出来なかったし、ワガママばかり言って振り回して利用して、挙句の果てに「冷めた」だなんて気取ったことを言って別れたというのに・・・、どこまでも優しい人だった。
Re: ありがとう。 急にメール、驚いたけれど、あたしは元気です。 一応大学には行けそうだけど、どこになるかはまだ分かりません。 昔はありがとうね。今思えば楽しかったな。 結婚するんだね。宏一もお幸せにね。 お仕事、頑張ってね。卒業おめでとう。
携帯を閉じて、部屋から窓の外を見た。 明日は卒業式だ。だけど、まだ大学入試の結果が分からなくて、たった一ヶ月後のことも不明で、未来が見えなくて怖かった。 最近受けた私大が受かっていればあたしは家から学校に通える。だけど、秋からあまり成績が伸びなかったあたしは、合格ラインギリギリだった。滑り止めに推薦で受けた大学は受かっていた。浪人はしなくて済みそうだけど。 恐怖は変わらない。 少しずつ日が沈んでいく景色を、いつか希望と共に見ることの出来る日が来るのだろうか。西には赤い空。明日は晴れそうだ。
青空といえどもまだ三月になったばかり。体育館の中は寒くて、あたしたちは震えながら卒業式を行った。 普段泣かない奈緒も涙目で、あたしを抱きしめた。大好きよ朱美ずっと友達でいようね約束だよ。かすれた声で囁いて、あたしは奈緒の背中をとんとんと叩く。当たり前でしょ? 奈緒は四月から地元の専門学校に通う。将来パティシエになりたいという。 卒業証書の筒を持って、まだ咲かない桜の木を見上げた。三年間なんて短かった。その中で、あたしを占めたもの。 「朱美ちゃん」 正面玄関の方向から、数ヶ月ぶりに聞く声にあたしの身体が反応する。 振り返れなくて目の前にいる奈緒に目で訴えると、無言で叱られた。ちゃんと行って来いって。あたしがまだ薫を忘れられないこと、とっくにバレていた。さすが、入学当初からずっと一緒にいた親友だ。 勇気を出して振り返る。何事もなかったように笑顔を作った。 「薫」 ちゃんとネクタイを締めてブレザーに手を突っ込んで立っていた薫の笑顔は相変わらず魔法のようだった。
「卒業おめでとう、朱美ちゃん」 あたしたちは校舎のすぐ傍にあるレンガの花壇に座った。 「ありがと」 目の前には運動場が広がっていて、例えば友達同士が、例えば仲のよかった教師と生徒が、例えば部活の先輩後輩が、それぞれ群がって盛り上がっていた。卒業生にとっては最後の高校生活のひとときだ。 「元気だった?」 「うん・・・、薫は?」 「元気。最近、やっと将来が見えてきたよ」 明るい声で、薫は言う。あたしは顔を横に向けた。優しい眼差しと目が合って、なぜだかほっとする。 「何? 何になるの?」 「まだ具体的には分からないけれどね。分かったのは方向性だけ」 薫はそう言った。きっと、薫は何年経っても何十年経ってもこのままなんだろうなって思う。そして、ずっとこのままの薫でいて欲しいとも思う。あたしの勝手な願い。 そして、最高のワガママ。願わくば、その隣にあたしが隣にいればいいのに。 「あたし、まだ大学決まらないの」 「うん」 「でも、多分落ちたんだと思う、地元の大学。入試、全然出来なかった。緊張しちゃって・・・」 今まで誰にも言えなかったことを、吐き出すようにつぶやいた。心配する親や教師、友達にも言えなかったことをどうして薫には言えちゃうんだろう。薫の優しさに甘えきっている。あたしは昔から変わらない。 「だからね、あたし、ここを離れるよ」 薫の目を見て、はっきりと言った。薫の目は相変わらず大きくて、でも強い光が伴っているように見えた。これが薫の強さだった。 「そしたらサヨナラだね、薫」 花壇に置いてあった薫の手に触れた。薫は二、三回瞬きをしたあと、ゆっくりとうなずいた。 「・・・うん、そうだね」 ズキリと心が痛む。分かっていたのに肯定されるととても悲しい。あたしの恋はまだ終わらないのに。終わることが出来ないのに。 もうあたしたちはキスをすることも抱き合う必要もなかった。あたしは立ち上がって、スカートについた砂を払う。それに合わせて薫も立ち上がった。入学したばかりの頃はあたしとの身長差はあまりなかったのに、目を合わせるには見上げなければならなかった。 好き。すき。スキ。 あたしは無理やり笑顔を作って、薫に顔を向けた。 「甘い恋をありがとう」 まるでイチゴのように、甘くて人生最高の恋だった。これ以上甘い恋なんて、もう二度としないんじゃないかな。あたしが言うと、薫も笑った。 「また会えたら・・・」 薫は言う。 「また俺は朱美ちゃんに恋をするよ」
逃げるように走って、奈緒を見つけて抱きついた。 「うわ、朱美!! び、びっくりしたぁ・・・、どうしたの?」 優しくあたしの背中を叩いて、まるでお姉さんのように言う。 もう終わった。あたしが終わらせたの。高校生活を思い出すときに、一番に頭に浮かぶほど大好きだった。
―――もしかしたら、朱美ちゃんを追いかけていっちゃうかもね。
恐怖が期待に変わる。 薫のような人にはきっと出会えない。 「薫くんは、きっとまた朱美に会いにいくと思うな」 ゆっくりと正門をくぐって、あたしたちは二度と生徒としてくぐらない門を背に、家に向かって歩いた。 「だから、『また』って言葉、使ったんじゃないかな」 「・・・あたし、期待していいのかな」 涙声であたしは空を仰いだ。快晴の雲ひとつない空。その青さは、純粋な薫に似ていると思った。
あたしはまだ薫のことが好きだよ。 だから、会いに来て。追いかけてきて。あたしを抱きしめて。そして、また恋をしよう。
空の青に両手を合わせて祈った。
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