時間喪失 〜〜(後)
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ハジメテを捧げた人はずっとずっと大好きな人だったのに、その出来事を忘れられていたときのシ
ョックはあまりにも大きかった。
はまた再び時間を喪失した思いを知るはめになった。全ては現実なのに夢だったと言い聞かせられるほど、は強くもない。
思いのままに土方を叩いた右手は、今も痛い。それ以上に土方も痛かったのだろうと思うと胸が苦しい。ちゃんと自分の気持ちを伝えておけばよかった。
「・・・・・・あ」
あんみつ屋で働きながらは思う。一度も思いを伝えていないのではないかと。
あの夜。
何もかもが初めての経験で、戸惑って、恥ずかしくって、でも死ぬほど幸せだと思った。だけど土方を受け入れるのに精一杯でちゃんと自分の気持ちを言葉にした覚えはない。
あれからもう一週間も経つというのに、心は晴れないままだった。
午後二時。昼休みを終えたは、一度ゴミを集めるために店の前に出た。そこには黒服の男が数人。真選組だとすぐに分かり、同時に胸が痛んだ。
真選組が見回りに来るのは珍しいことでもないのに、何度も土方を思い出してしまう。土方を探してしまう。
「・・・?」
いつもはいないくせに、今日はいた。と目が合った。土方が自分の名前を呼んだ。
は動揺を隠すかのように微笑んだ。
「見回り、お疲れ様です」
そう言って彼らに背を向け、はゴミ箱の袋を変える。
「副長、知り合いですか?」
背中のほうでそんなやり取りが出来る。その答えを聞きたくて、はわざと手をゆっくりと動かした。仕事が長引くように。土方の声が聞こえない、と思ったら、すぐ後ろに気配を感じては振り返った。
「、ここで働いていたんだな」
「私のことよりお仕事があるでしょう、副長サン?」
「この前のことは謝る。本当に悪かった。ただ俺は・・・、本来は酔った勢いであんなこと・・・」
「言い訳なんて聞きたくない。ほら、皆さん副長を呼んでいますよ。税金の無駄遣いしないでくださいね」
冷たく言い放つに土方は眉をしかめた。土方の後ろでは、この雰囲気がただ事ではないと察した隊員達が「副長、先行っていますっ。ちゃんと今日中に帰って来てくださいねっ」などとお節介を焼き、走ってこの場から逃げ出して行ってしまった。
土方も慌てて追おうとしたが、をこのまま放っておくわけにはいかなかった。土方とて、見回りをしながらを探していた。無意識のうちにだが。
は口をつぐんで、うつむいた。一度も気持ちを伝えていない。だけど土方だってそう。このままでは堂々巡りだと思った。どんなに頑張ってもこの歳の差を埋めることは出来ないのだし、自分が言わないとこの男は言ってくれないと思った。
そもそも彼に自分が敵うなんて思えないけれど。
「・・・・・・トシ兄」
いつもの呼び方に土方はほっとしながらも、なんだ? との顔色をうかがった。
「トシ兄はオトナだし、たくさんの女を知っているだろうし、簡単に遊べちゃうんだろうけれど・・・、私は全てをトシにあげたくて抱かれたんだよ? ずっとトシ兄のこと好きだったんだよ。・・・お手軽じゃない私なんて、トシ兄にとって迷惑、なのかな・・・」
つぶやきながら視界が潤む。は手で涙を拭った。土方を叩いたこの右手、痛くて痛くてどうしようもない。そして土方に触れたときの感触をまだ覚えている。
「、すまなかった」
土方の言葉に絶望を感じたは、ただ首を横に振った。そんな謝罪の言葉も聞きたくないと思った。涙を拭いて、土方の顔も見ずに店に入ろうとした。そのとき。
「また最初からやり直すことは、・・・出来ないだろうか」
思いがけない土方の言葉には振り返り、土方を見た。再び目が合う。
「・・・やり直すって」
そんなこと無理に決まっている。時間は流れている。自分はもう何も知らなかった頃の少女には戻れない。失った時間は戻ってこないのだ。
「俺はもっとおまえといたいと思ったよ」
土方が言う。その声は、あの夜と同じ、少し掠れていて色っぽくて、はこのまま崩れてしまいそうになった。
時間は戻ってこなくても、土方を好きな気持ちは変わらない。の涙はとめどなく流れる。
「・・・遊びのつもりじゃない。だから」
土方の科白が終わらないうちに、は土方の胸に飛び込んだ。嗅ぎ覚えのある煙草の匂い。好きじゃないはずなのに、この香りは安心した。
「、大きくなったよな」
「・・・今更何言ってるの? 子供扱いしないでよ」
が言うと、土方は喉を鳴らして笑った。
「生意気になりやがって」
「トシ兄だって、最低」
「二度も言うな」
そう言って、土方は指でのあごを上に向け、視線を交わらせようとした。
は膨れたままこっちを見ようともしない。それすら愛しくなり、土方はゆっくりと顔を近づけた。
は瞳を閉じたなかで、失われた時間が少しずつ戻ってくる錯覚に陥った。それでもいいかもしれない。
ただこの人を好きという、その真実があればそれで充分。
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