時間喪失 〜〜(前)
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その日の仕事は、レジの計算がなかなか合わなくて終わるのが遅かった。
「ごめんなさい、ちゃん。こんなに遅くなってしまって。送ってあげたいんだけどアタシこれから用事があって・・・、ごめんなさいね。気をつけて帰ってね」
申し訳なさそうに言う女主人には笑顔を残し、店を出た。
歓楽街であるかぶき町は、夜でも眩しいほどネオンで溢れていた。治安はあまりいいとは言えない。は早足で歩いていた。
ドンっ。思わず下を向いて歩いていたから人とぶつかってしまった。
は顔をあげた。
「ご、ごめんなさいっ」
ここはかぶき町だ。やばい人間であれば東京湾に沈められるかもしれない。冷や汗をかきながら
は頭をさげた。
「・・・・・・・・・」
しかし、何の応答もない。恐る恐るは顔を上げた。
「あ・・・」
は胸を撫で下ろすのと同時に、懐かしさを覚え更に胸が痛むのを自覚した。
無造作に切られた黒髪、開き気味の瞳孔で自分を見下ろすその視線、だけど本当は優しいことも知っている。
「トシ兄・・・・・・?」
昔からの呼び名、その発音はあまりにも久しぶりで思わずは口許を押さえた。
「あァ? 総悟、おまえも大層な身分になったなァ?」
しかし、肝心の相手はまったくこっちの言い分など聞かず、の頭を軽く叩いた。
「ええ!? そ、ソウゴ? 私だよ、! ! 覚えていない? 昔、トシ兄によく遊んでもらったよね?」
「・・・・・・ー?」
胡散臭そうに言う土方は、様子がおかしい。顔が赤いし、目が据わっている。そして酒臭い。
「・・・トシ兄、酔っているの?」
「誰が酔っているだァ!? 俺はまだまだ飲める!」
「酔っているんだね・・・」
「おら、次行くぞ、次! おまえも付き合うだろ!?」
「ええっ!? だって私、まだ未成年・・・・・・」
「おまえ、いくつよ?」
「じゅ、十八だけど・・・」
「なんだ、もっとガキかと思っていたじゃないか。十八なら立派にオトナだろうがっ! 酒の一杯や二杯飲めねぇでどうする!」
強引に腕を掴まれて、も土方の後を追うように歩き出した。
いいのかなぁ? とは思う。土方は真選組の副長であることは当然の耳にも入っている。つまり警察が未成年に酒を飲ませたことになる。これは立派な不祥事ではないだろうか。
そう思いながらも、懐かしくてそれどころではなかった。
酔っていたって分かる。土方は昔とは変わらない。
幼い頃の記憶はおぼろげなはずなのに、土方のことは鮮やかに覚えていた。
土方がいなくなったとき、一晩号泣したことも覚えていた。それから気が狂うほど長い間、は土方と会うこともなくて、それなりに日々を過ごしてきたけれどその時間はとても虚しかった。
土方に会いたかった。まさかこんなところで会えるなんて思わなかった。
「トシ兄、少し飲みすぎなんじゃない? 明日のお仕事大丈夫なの?」
「明日はオフだ!」
居酒屋でトシ兄の飲みっぷりに呆れながら、それでもその隣にいるのが今だって不思議でたまらない。現実味がないけれど、確かにこれは夢ではない。ずっと願っていたものなのに、これだけでは足りないと思ってしまう自分には驚き呆れた。
「」
ふいに土方が呼んだ。とても懐かしいその声。今日初めて名前を呼ばれて、の鼓動が速まる。十年近く越しだった。
土方は虚ろな瞳でを見つめると、急に立ち上がって勘定を済まし、店を出た。あまりにも唐突で、も慌てて店を出る。
「どうしたの、トシ兄」
「」
やっと土方に追いつくと、土方はの腕を掴んだ。
「おまえ、彼氏いんの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
は無言のまま土方を見つめた。突然すぎて何も答えられなかった。暗がりの道端では土方の表情を読み取れなくて困惑する。
「・・・い、いない、よ」
おずおずとはつぶやいた。
いるわけがない。だって、いつだって土方のことばかり考えていた。土方だけを思っていた。そんな気持ちで、中途半端に誰かと付き合うなんてとても出来なかった。
どうやったらこの長い間秘めていた想いを伝えられる?
は掴まれていないほうの右手で土方の頬に触れた。触ってもやはり、表情は分からない。だけど。
自覚してしまったこの気持ちが溢れて止まらない。
それに反応したかのように土方がかがんで、に顔を近づけた。唇に感じた一瞬の温もり。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
は土方を見上げた。すぐ目の前で信じられないほど優しく微笑んでいて、ときめいた。
またキスをする。今度はもっと深く。ねだるように。
自分でも怖いくらいにこの人が好きだとは思う。苦しいほどに、切ないほどに、好きで、どうして今まで会えなくて平気なふりが出来たのか不思議なくらいだった。
一度この温もりを知ってしまったらもう昨日までの自分に戻れないと思った。でもそれでもよかった。きっと私はこれを切望していたんだと知ったから。
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