始まりのあの夜(前編)



 夜の更けた道を走り出す。
 この派手な着物も、赤い口紅も、色気を醸し出したこの髪型も全て、本当に自分を魅せるものではない。これは偽者だ。
 肩で息をしながら走って、走って、苦しくなって電柱にすがって、はしゃがみこんだ。急にまわった酒のせいで気持ちが悪くなって、視界がまわる。

「・・・・・・もう嫌だ」

 いつの間にか溢れていた涙を拭うと、一緒に流れたマスカラが指についた。
 こんなになるために生きているわけじゃない。じゃあ、どうしてあたしは生きているの?
 家出同然で江戸に飛び出して、キャバクラで働き始めた。でもお水の仕事は思っていた以上に辛くて、お酒を飲むのも苦しくて、それでもにはこれしかなかった。

「でももう嫌だ・・・・・・」

 とめどなく流れる涙が拭いきれずに、アスファルトに落ちていく。自分についた煙草のにおいを消したくても、もう染み付いている。何度洗ってもきっと。
 たまらなくなって、綺麗に飾ったこの職業特有の髪を乱す。癖のついた長い黒髪がパサリと落ちた。

「おネェちゃん」
 背後から不気味な声と雰囲気が近づいてきた。
「何してんの? 具合悪いの? どっかで休ませてあげようかィ?」
 疲れた脳の中で危険信号が発されたときにはもう遅かった。
 逃げようと立ち上がった瞬間、数人の男に囲まれ、一人の男に細い手首を掴まれた。
「や、やめてよ!」
「おネェちゃん、角のオミセで働くキャバ嬢デショ? ここでサービスしてくれよぉ」
 酔っ払いだ。酔っ払いだ。は必死に手を振りほどこうとした。相手は酒でふらついているせいで手はすぐに離れたけれど、数人に囲まれたら逃げようにも逃げられない。
「やめてよ、通して! あたしは帰りたいの!」
「ネェちゃん、美人なんだからさァ。もし俺たちと遊んでくれたら、今度オミセに通っちゃうかもよ?」
 騙されるもんか。それでも絶望が影を表す。こんな都会で人がたくさんいるというのに、誰一人助けてくれない。
 江戸は、かぶき町はとても怖い。それでも必死になってが叫んだときだった。

「盛んなのはモテない証拠だって知ってるかィ?」

 そんな声が聴こえたと思ったら・・・・・・、の周りを囲んでいた男が次々とうめき声を出して倒れていった。
 何が起こったのか分からなかった。ふと目の前に立っている男を見た。
 の目に映ったのは、暗闇で光る銀色。

「おい、大丈夫か」

 数人をあっという間に倒してしまった銀髪の男、どんな男かとが顔を上げると、眠そうな目とぶつかった。本当にこの男が剣を振ったというのだろうか。

「おい?」
「あ・・・、ハイ、すみません・・・」

 いつの間にか座り込んでいたはゆっくりと立ち上がり、着物についた砂を払った。

「オネエサンさ、夜のかぶき町は危険だから一人で歩かないほうがいーよ。どこかのゴリラに育てられたような女じゃねーんだから」
「・・・はぁ」

 尾ひれに何かとんでもない言葉がくっついてきた気がするけれど、自分の身を案じてくれるこの男の雰囲気はどこか危なげで、でも安心も出来た。

「オネエサン、家はどこよ」
「えっ?」
「この銀サンが送ってあげるぜ」
「・・・・・・・・・あ、あの」

 歩き出そうとした瞬間にが足を止めたのは、男がの腕を掴んだからではない。ただ気になることがあった。

「何だよ」
「あ、あたし、最近つけられていて・・・、今帰ったら家がバレてしまうかもしれなくて・・・」

 言いながら泣きそうになる。
 今までずっと一人で闘ってきた。いつもひとりだった。頼れる人なんていなかった。そんな優しい人にこの江戸で会えるなんて思ってもいなかった。
 だから、唐突な安堵で一度心が壊れたみたく思った。
「あ、だ、だから近くのファミレスとかで、時間潰そうかなって」
 でもこのままじゃあまりにも甘えすぎてしまいそうなのでが慌てて言葉を付け足すと、男は頭を掻きながら言った。

「そんなボサボサな頭で入れてくれる店があるかよ」
「な・・・・・・、あ、あんたに言われたくないわよ!」
 そりゃ店を出てから髪留めも外して髪型を崩したけれど! 目の前にいる銀髪の天パ男に言われたらさすがに失礼すぎる。一時の恩も忘れてが叫ぶと、男が面白そうに笑った。

「じゃあ、俺ん家に来いよ」

「え・・・・・・」

「あー、言っておくけどな。別に手を出そうとか企んでいるわけじゃねえよ。俺はそんな軽い男じゃねえし、だいたいガキどもがいるからな」
「・・・ガキども?」
「安心しろよ」

 そう言って、男はの手を取った。


「おまえ、名前は?」
「あ・・・、、です」
「ふうん」

 にやりと笑った男の口から、固有名詞が零れた。
 遠くない未来、恋人になるその名前。


 坂田銀時―――。






   
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