大学に入ってから初めての夏休み。
あたしはキャリーバックを引いて、地元の駅を歩いた。四ヶ月ぶりに見るその駅は、何も変わっていなくて、やっぱり人が多かった。 「朱美ー!」 改札口に立っていた奈緒があたしを見つけて手を振った。 「奈緒、迎えありがとう」 「どういたしましてー。あ、あたし安全運転だから安心してね」 あたしが持っていた紙袋を持って、奈緒は駅の隣の立体駐車場に向かう。 受験が早く終わった奈緒は春休みを利用して運転免許を取ったのだ。高校の頃は焦げ茶だったその髪も金色に近い茶髪になっていて、肩までの髪がいきなり腰まで長くなっていた。 「奈緒、それエクステ?」 「え? うん。可愛いでしょ?」 得意げに奈緒は笑い、長い髪をなびかせた。 「カレシに買ってもらったの」 「ああ、学校で出会った人だったっけ?」 「ウン、今度紹介するね」 もうあたしたちは恋を安売りしない。反面羨ましくも感じた。あたしは当分の間、出会いがやって来ない。例えやってきても、あたし自身が受け入れることが出来ないから。 「でもねー、カレシとは別にメル友が出来ちゃったよ」 「メル友? カレシ、怒らない?」 「事情話したら許してくれたよ」 「・・・事情って?」 トランクにキャリーバックを積みながらあたしが訊ねると、奈緒は笑いながら運転席に乗り込んだ。よくテレビのコマーシャルで見るコンパクト型の可愛い車だった。 「朱美、怒らない?」 「どうしてあたしが怒るの」 助手席に乗ってシートベルトをしながらあたしが首をかしげると、奈緒はイタズラが見つかった子供のように笑って言った。 「そのメル友ねぇ」 「うん?」 「薫クンってかっわいい男の子なんだよねぇ」 「はいぃ?」 あたしが情けない声を出すのと同時に、車が発車された。
つまり。 奈緒の話によると。 結局本命の大学が落ちて第二志望の大学に通うためにあたしが地元を離れている間、偶然奈緒と薫が出会った。奈緒があたしの友達であることを知っている薫は、まんまと奈緒に流されてついメアドを交換してしまったのだという。 「薫クン、相変わらず可愛かったなー」 「・・・・・・・・・」 「でもまた背が伸びたのかなっ。これからもっともぉっとイイ男になるかもね」 あたしは仏頂面でん流れる景色を眺めた。その様子を横目で見て、奈緒は笑う。 「いやー、朱美ったら、怒らないって約束したじゃない?」 「約束なんてしてないよ」 あたしが言うと、さも可笑しそうに奈緒はまた笑う。何がそんなに楽しいのよ。相手が奈緒で、奈緒は彼氏がいるんだし、ただの友達なはずなのに、すっごくムカつくんですけれど! 「朱美、薫くんを手放すってそういうことだよ」 「・・・・・・」 「この先、薫くんはもっと格好よくなって、他の女に取られていいの?」 力強く奈緒は言うけれど。 でもそんなこと言われたって、卒業式以来あたしたちは連絡もとっていないし、時間が経てば経つほどもう終わったんだと実感する。 そして、あの甘い日々がより鮮明に蘇る。 「言っておくけけどね、朱美。薫くんはまだ朱美のことが好きだよ」
―――また朱美ちゃんに恋をする。
それを聞いてとても嬉しかった。嬉しかったの。 でもやっぱりそれは幻想で、時間と距離はそれぞれの想いを消していくんだと思った。あたしばかりが薫を好きでいたって仕方がない。傷ついて泣くのは嫌だったし。 ある路地に入ると奈緒は車を停めた。 「・・・どうしたの? あたしの家はまだこの先だけど」 「うん、ここでいいんだよね。あ、安心して。朱美の荷物はちゃんと朱美のご実家まで届けるから」 「えっ?」 「ほら、早く降りて!」 奈緒に急かされて、思わずあたしは車から降りてしまった。ドアを閉めると車の窓が開き、奈緒が中からあたしに向かって叫んだ。 「朱美が怖がることなんてないんだから! もっと素直になってね!」 そして、車がそのままあたしの家に向かって去っていってしまった。わずかな排気ガスを残して。
あたしは降ろされた場所で立ち尽くした。 だって、ここは。 夏の太陽を浴びて、緑色に輝く木々。夏休み中でボールを転がして遊ぶ子供達。 ・・・ここは、思い出の。 「朱美ちゃん」 背後から声がした。あたしは振り向いた。ううん、振り向かなくたって誰の声かすぐに分かったけれど、振り返らずにはいられなかったの。 だって、会えたのは五ヶ月ぶりだ。 「薫」 思っていた以上にあたしの心がかき乱される。 泣きたくなる。 こんな感情、他に知らないよ。 あたしをこんなに溶かす人、他にはいないよ。 ただ数ヶ月会わなかっただけなのに。あたしから手放したはずなのに。 抱きしめたいって思うあたしがここにいた。
小学生の女の子がブランコを漕いでいるのをいつものベンチから見ながら、あたしはため息をついた。 「奈緒とメル友なんだって?」 「そうそう。今日のこともメールで話して」 「ふーん・・・」 なんとなく面白くなくて、あたしが仏頂面になると、隣に座る薫がそれに気付いて笑った。 「相変わらずだよね」 「え?」 「百面相」 あたしの鼻をぎゅっとつまんで、笑い続ける。なおさら私は薫を睨んだ。 何よ、この距離感は。言いたいことがあるならはっきりして。あたしを連れ去るなら早くして。焦らさないでよ。 あたしの目力にはそういう言葉が詰まっていて、伝わったのかな。薫は真剣な顔であたしを見つめた。 「朱美ちゃん」 ふざけたときよりも低い声で、薫はつぶやいた。 何を言われるのか、様々な言葉が浮かぶけれど、どれなのか分からなくて、あたしは薫の目を見てじっと待つ。 薫の手があたしの髪に触れた。 「髪の色、明るくなったね」 そう言ってその髪に口付けをした。突然の出来事で心臓が跳ね上がった。だってここは昼の公園だよ!? 「それに、長くなったよね」 「・・・・・・うん」 たまらなくなって、あたしは両手を伸ばす。その手を薫の首にまわす。おでこを薫の肩に押し付けた。 「・・・薫」 「うん」 「会いたかったよ・・・・・・」 ああ、失敗だ。あたしから言うつもりなんてなかったのに。 何歳になってもあたしは、恋に振舞わされ続けている。 「朱美ちゃん、聞いて」 あたしの頭を撫でながら、薫が言った。 「俺、ちゃんと進路決まったよ。朱美ちゃんが住んでいる近くの大学に、俺の行きたい学部あったから、狙うから、そしたら来年また会おう」 「・・・・・・・・・・・・」 あたしはいつの間にか溢れていた涙を拭きながら、垂れそうになる鼻水を吸って、薫を見た。 「・・・来年まで会えないの?」 「朱美ちゃんがこうして帰ってきたら会えるよ」 「・・・・・・・・・・・・キスは?」 あたしの子供のようなおねだりに、薫が笑った。 「今してもいいの?」 当たり前だよ。って思った。 あたしはずっとずっと待ち焦がれていたの。夢に見続けていたの。薫の甘いキスがほしくてたまらなかったの。 目で訴えると、薫は肩をすくめて周りを見渡して、誰もあたしたちに注目していないのを確認してからあたしを抱き寄せた。 「朱美ちゃん、好きだよ」 それだけで溶けそうになる。 あたしも、と言おうとしたとき、唇で塞がれた。でもきっと伝わっているよね? 忘れようとして忘れられなかった恋。きっとこれが最後の恋。
何ヶ月ぶりかになるキスは、やっぱりイチゴ味がした。
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