Special Holynight


 だって宏人(ひろと)って本当にあたしのことが好きなのかなって疑問感じちゃう。
 そんな言葉を残して、彼女は俺から離れて行った。悲しいことに振られることには慣れている。そこに大きな痛みを伴わないことは、俺自身の心が閉ざしている。気付かない振りを続けて数年。
 だからって、いくらなんでもクリスマス当日に振るなんてさすがの俺でも泣けてくるぞ畜生。
 街の中のカフェで捨てられて、カップルとは逆行して俺は駅に向かって歩く。と、そこへ、
「あれ、宏人じゃん!」
 目の前で大きな紙袋をいくつか抱えて、流行のロングブーツを鳴らして歩いてくる女は。
「・・・美玖(みく)!」
 久しぶりに見る顔だった。


 美玖とは小学校、中学校、高校までもが同じ同級生で、家が近いためいわゆる幼馴染という関係だ。だからと言っても、いつも仲がよかったというわけでもないし、高校時代は特に親しくした覚えはない。
 さすがに大学はお互い別々のところに通っているが、ときどき顔を合わせると話ははずんだ。そんな彼女とこんな日にこんな場所で出くわすなんて。
「美玖、おまえ何してんだ?」
「買い物」
「こんな日にか? クリスマスだぞ? ひとりで虚しいとか思わないのかよ?」
「そういう自分だってひとりじゃん。彼女はどうしたのよ?」
 美玖の鋭い尋問に俺は声を詰まらせる。
「・・・おまえこそ、彼氏は?」
「訊かないで」
 美玖は先ほどまでの笑顔とは裏腹に、俺をじっと睨んだ。
 そのまま何気なく俺たちは、駅の近くのカフェに入った。そして、座るなり美玖は、低いトーンで語り始めた。
「振られたのよ、昨日」
 昨日!? 昨日と言えばクリスマスイブ、日本人が最も騒ぎ立てる日ではないか。こいつ俺より哀れかも・・・、虚しい優越感に浸りながらも俺は神妙な顔を作る。
「今日はその腹いせでたくさん買い物しちゃった! 金のかかる年末にとんだ迷惑よ!」
「・・・・・・それはおまえのせいなんじゃ」
「何?」
 きっと鋭く俺を見る美玖には悪いけれど、俺は内心微笑む。
 今まで、別に好きな女と付き合ってきたわけじゃない。来る者拒まずという感じでなんとなく付き合ってきた。もちろん、俺を好きでいてくれるその気持ちは嬉しかったし、彼女たちは優しかった。だけど、数ヶ月経つとうんざりとした口調で言うのだ。本当にあたしのことが好きなの?と。女の勘は侮れない。
 初めてのキスは八歳のとき。相手は目の前にいる彼女。もちろん同意の上ではあるが、やっぱりどう考えても俺の初恋は美玖だったんだと思う。そして、悲しいことにその想いは今も消えない。俺としたことがなんていうミス。人生狂いっぱなしだ。
 特別美人なわけでもないし、面白い会話術を持っているわけでもない彼女に、どうしてこんなに長い間焦がれてしまうのか。
 今だってそうだ。目の前にいる彼女に、この緊張感が伝わらないことを祈る。ただの幼馴染にドキドキしているなんて、知られたら終わり。この関係はなくなる。せっかくの女友達なのだから。そして、俺は彼女にとってきっとなんでも話せる男友達でしかないのだから。
「あーあ、もう、今度は絶対に幸せになれると思ってたのよ? どうしてあたしって男運がないのかなぁ」
 ぼんやりと頬杖をつきながら、暖かいカフェラテを飲む美玖の瞳は虚ろだ。
「どっかにいい男、転がっていないかしら」
「・・・・・・それなら」
 俺はブラックコーヒーを一口飲んで、言った。いや、正確には口走ってしまった。
「俺はどうよ?」
「・・・は?」
 虚ろだった美玖の眼に光が灯る代わりに、怪訝な目つきが俺を刺す。
「幸か不幸か、本日付で俺もフリー」
「・・・それはあまりにも痛すぎる偶然ね」
「これも運命、どうだ? 俺と付き合ってみないか?」
 俺の口は止まらない。自分で何を言っているのか分からない。体中が熱い。止まらない。だけど今しかないと思っていた。タイミングの良し悪しなんて分からないけれど。
「・・・・・・宏人、あんた何言ってんの?」
 感動どころか、ぶっきらぼうに俺の顔をまじまじと見つめる。頭大丈夫? などという言葉を吐きながら、それでも俺のこの衝動的な気持ちは治まらない。
 今考えたわけじゃない。ずっと、ずっとなんだ。ずっとおまえが好きだった。言えたらどんなによかったか。
 結局、臆病な俺はそこまで言えずにただ曖昧に笑って誤魔化してしまった。




×××




 それは人生で何番目の絶望だろう。好きだったのに。本当に好きだと思える人に出逢って、その人に愛を囁かれたら誰だって堕ちてしまうもの。なのに。
 そういう女だとは思わなかったよと言われ、あたしは落ち込んだ。イブに対して重く考えすぎだろ、おまえはもっと現実的な女だと思っていたけれどなぁ、がっかりだよ。
 そう豪語する彼氏の頬を思い切り引っ叩いて、泣きながら家に帰った。そして今朝、一本の留守電に気付いた。着信日付は昨日の夜。こうまでもあっさりと別れを告げられると、まさに百年の恋も一瞬に冷めるような、そんな気持ちだ。興ざめだ。
 可哀相な自分にクリスマスプレゼント、という口実で両手に紙袋を抱えて街の中心を歩いて、だけどすれ違うのはみんな幸せそうな顔をしていた。カップル同士で歩く人も、家族で笑い合う人も、友達同士で会話を絶やさない人も、みんな。
 だけど、偶然宏人に出逢って、あたしの心は晴れた。昔からの友達で、何でも言い合えるから、気兼ねなんてしなくていいし、だからあたしは心から楽しんでいたのに。
「俺と付き合ってみないか?」
 急に何を言い出すのだろう。この人間だけはそんなこと言わないと思っていたのに。肝心なことも訊き返せないまま、宏人は笑って、冗談だとつぶやいた。
 だけど、このまま終わらせてしまって本当にいいのだろうか。心が迷う。
 だって。
 あたしの初恋は宏人だった。
 初恋は叶わないって言うけれど、だからこそそんな冗談を言って欲しくなかった。


 午後六時、カフェを出て、すぐに駅のホーム向かわない宏人にイライラした。何を考えているのだろう。それよりも、何よりも、さっきの一言で心を動かされてしまった自分に気づいた。
 初恋は昔の話すぎて、高校時代だって特別仲良かったわけでもないし、だけど思ったことを何でも言えた人だったから、付き合うとか付き合わないとか考えたこともなかった。
 気付けば宏人はあたしの隣を歩いていた。あたしは歩くのが遅くて、昨日までの彼氏にいつも文句言われていたし、だから隣を歩いてもらったことは少なかった。いつもあたしはその背中を見ていて、それを追いかけることで胸が熱くなっていた。だけど、今は違う。隣を歩いてもらうだけで、こんなに安心感を得られるなんて。
 あたしが何気なく宏人の横顔を眺めると、目が合った。その顔が少し赤くなったのは気のせいだろうか。
「・・・何?」
 掠れた声で宏人は問う。
「さっきの話、どういうことかなって思って」
「だから、それは冗談だって言っているだろう」
 答えるあたしに、宏人は眉をしかめる。冗談ならそんなに怒らなくたっていいのに。
「あのね、宏人」
 どこに向かっているのか分からない足取りで、あたしは前方を注意しながらも宏人を見つめて言った。
「あたしの初恋って、宏人なんだよ」
「・・・・・・え?」
 宏人は急に立ち止まろうとして、人通りの邪魔にならないように慌てて駅の壁に寄って、あたしを見た。
「何・・・?」
「だから、初恋は・・・」
「それは聞いたって! なんで今頃そんなことを・・・」
「だって・・・」
 言い訳をしようとしたけれど、あたしもその理由が分からなくて焦る。ただの幼馴染だったのに、超えてはならない線を踏んでしまったような気がして、胸の中に不透明な罪悪感が広がる。
「あの、さ・・・」
 ごほんと咳払いをして、宏人が遠くを見ながらつぶやく。
「俺の初チューはおまえなんだけど、覚えてるか? 八歳の頃のこと」
「せめてファーストキスって言ってよ」
 あたしが言うと、宏人はぎょっとした顔であたしを見て、一秒後二人して笑った。
 覚えていないわけがない。あたしの初めての恋もキスも、全部宏人に奪われた。それをあたしは大事にしてきたつもりだ。思い出として。
 そして、あたしはその後も一度、眠っている宏人にそっとキスをしたことは秘密だ。
「ねえ」
 あたしは宏人の袖を掴んだ。宏人はいぶかしげにあたしを見る。そんな目をしないで欲しい。あたしはもう何も望まないし、だからと言ってその思い出を踏みにじることもしないから。ちゃんと距離を守るから。だけど、今日だけは。
「今から帰るなんて寂しいよね。今から一緒に飲みに行かない?」
「え?」
「なんか、すっごい懐かしい気分になっちゃったから」
 あたしが言うと、宏人はまたいぶかしげにあたしを見る。
「・・・やめろよ」
「え・・・?」
 今度はあたしが訊き返した。
「俺はおまえの元カレの代わりじゃない」
「そんなこと言ってないでしょ」
「今更懐かしんでどうするんだよ。だいたい俺は、おまえと特に仲良くした覚えはないけどな」
「・・・そんな風にクールを気取っているから、女と長続きしないのよ」
 わざと皮肉を漏らすと、宏人は舌打ちをして、そしてあたしの頭を大きな手で掴んだ。
「何するの・・・・・・ンッ!?」
 突然の口付けにあたしは目を見開く。初めてのキスとは違い、深くてもっと熱かった。乱暴だった手は次第に優しくあたしの頭を撫で、なぜかあたしは宏人の唇が嫌だとは感じなかった。強引のキスなのに。
 無理やり唇を唇でやんわりと噛まれたあと、すぐに離された。
「・・・何するのよ」
 ため息をつきながら、あたしは宏人を見る。行動とは裏腹に、潤んだ目で宏人はあたしを睨んだ。
「おまえのせいだよ」
「あたしの何が悪いというの?」
「・・・・・・ごめん」
 宏人もため息をつく。がりがりと頭を掻いた。今になって、周りの声に気付く。駅の隅、さすがはクリスマス、誰もあたしたちに注目しない。
「二回目、かな」
 宏人は力なくつぶやいた。
「何が?」
「おまえとのキス」
 その言葉に笑みがこぼれる。あたしの初恋が宏人だったってこと、まだ信じていないのだろうか、この人は。あたしだけの秘密を思い出すと胸が熱い。
「・・・何笑ってんだよ」
「別に、何も・・・」
 微妙な距離感であたしたちは嘆息することしか出来ないでいる。本当に今更だ。どうすればいいのか分からない。初恋の気持ちが蘇る感覚。
 視線を感じて顔をあげると、目が合った。宏人の口がゆっくり動く。
「好きだ」
 そう言った。あたしは唇を噛んで、うつむく。
 なんとなく分かっていた。
 分かっていたけれど、受け入れるのは難しかった。
 真剣なその瞳を愛しいと感じてしまった自分の気持ちさえ。
 唐突すぎて理解できなくて。
 今のあたしは、あの頃のあたしとは違うのに。
「ずっと、好きだったよ」
 宏人の声は落ち着いて好きだと思った。今はどこにも触れていないのに、どこから伝わるんだろう。少し震えるような恐怖感。そして切望。
「俺の初恋も美玖なんだ」
 その言葉にあたしは顔をあげた。視線が絡み合って、思わず逃げたくなるのを堪える。
「・・・嘘」
「本当だよ」
「なんでさっき言わなかったの? あたしが白状したときに」
「からかわれているのかと思ったから」
 自嘲気味に言う彼を、最低だと思った。あたしの精一杯の告白を何だと思っているんだろう。何人もの女と付き合ってきて、今更そんな科白。
 だけどあたしも馬鹿な女だから、初恋の相手にそう囁かれたらまたきっと堕ちてしまうのだ。
「懐かしい気分だったんだよ、本当に」
「それで?」
「初恋の気分を思い出す」
 あたしが言うと、宏人は冷笑して、あたしに顔を近づけた。あたしは片手でそれを制する。
「キスは駄目」
「なぜ?」
「今日はあの頃に戻るんだよ。キスは大事にするの」
 あたしは宏人の腕を掴んで、紙袋を振り回しながら歩き出す。
「どこに行くんだよ? まだ話は終わって・・・」
「飲みに行くの! だって今日はスペシャルな夜だよ!? 一緒に過ごしたいじゃない?」
 賑わうイルミネーションの前を通って、あたしの足は飲み屋が並ぶ路地に向かう。
 初恋は叶わないってずっと思っていた。だけど、今日は特別な夜だから、きっと神様が叶えてくれる。
「宏人」
 さっきからあたしに歩幅を合わせてくれる宏人を見上げて、人々の声にかき消されないようにあたしは声をあげた。
「突然すぎて、あたし頭悪いし、まだよく分からないけれど」
 あたしの声をキャッチしようと、宏人は少しかがんで耳を預ける。それに便乗してあたしはその耳に口を近づけて囁いた。
「今日、宏人に会えてすごく嬉しかったし、キスも嫌じゃなかったんだよ」
 暗がりの中でも宏人の顔が赤くなるのが分かって、再びときめきを感じる。
 胸が騒ぐ。初めて感じた想いと同じ。最高にハッピーな夜。
 宏人の指があたしの手を温める。それだけで幸福感が広がる。
 少しずつまた宏人を好きになれる。絶対に、あたしは今度こそ幸せになれるのだ。
 想像じゃなくて、これは確信。

 メリークリスマス!!


 
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