一年後の約束





 ねえ、どうして?






 一歩踏み出すと、その度にジャリ、と音が鳴る。その名の通り、砂利道を歩く。
 今日は数日ぶりの快晴の日。空は恨めしいほどにまっさらだ。私は空を仰いだ。


 ―――アンタのせいだからね、アンタのせいであの子があの子があの子があの子が・・・・・・・・・!! アタシたちの息子を返してよ!!

 耳元で響く声を掻き消すように、私は首を振った。
 さっき買ったばかり花束からは、いい香りがする。私もこの中に埋もれたい。不思議の国に入り込んだ少女のように、小さくなるビスケットを食べて、誰からも見つからないように、花の中で隠れて暮らすの。
 なんて夢のよう、それこそおとぎ話。

 ジャリ、ジャリ、ゆっくり歩く私の足にあわせて、右、左、交互に音が鳴る。石は限りなく多く、数え切れないほどに。

 一つの墓石を見つけ、私は口を結んだまま近づいた。



   君にはどうしても伝えなければなりません。
   僕の選択には僕の意思が責任であり、君には関与していません。
   だから、こうなることは君のせいじゃないよ。
   きっと、君は自分を責めてしまうんだろうけれど、だからこそ、伝えなければと思ってペンを取りました。
   こうなってしまうのは、やはり僕自身の弱さに原因があります。
   だけど、君といることができて、僕はとても幸せでした。
   ありがとう。
   僕は、君の笑顔が特に好きでした。
   君が幸せであれば、僕の選択は本望でしょう。
   きっと君は怒るのだろうけれど、僕がいなくても君は幸せになれるはず。
   無責任なことを言っている自覚はあります。
   でも、どうすればいいのか分かりません。
   これ以外の方法を知りません。
   だから、君は生きてください。
   僕を忘れてくれても構いません。
   もし、忘れられなかったりしたら・・・、
   一年間は忘れたふりをしてください。
   君の幸せを、僕は祈っています。

      愛しています。永遠に。



 私はその墓石にそっと花束を降ろした。彼の家族はもう来たのだろうか、他にも花束があった。会わなくてよかった、私は胸を撫で下ろす。
 小さな丘の上、吹き抜ける風はもう冷たい。私は黒いコートに手を入れて、カイロを取り出し、両手で包み込む。



 ねえ、どうして?




 彼の最後の手紙を読んでも、やっぱり私のせいだとしか思えなかった。

 もともと彼は強い人だったのに。
 私が弱いせいで、私が追い込んでしまった。私が弱くて、寄りかかりすぎて、彼は潰れてしまった。
 私は両手を合わせて、いくつかの言葉を捜してみるけれど、今伝えたい想いはどの言葉にも当てはまらない気がした。
 墓石の向こう側へ、更に歩く。
 ブーツで歩く砂利道、ときどきつまずきそうになりながら。
 やがて、海が見えた。
 更に歩けば、崖になり、波打つ海を真下に見下ろせる。


 あなたはここへ飛んでいったのね。
 深く深く、私からのプレッシャーすら届かないほど深い世界へ、それこそおとぎの国の落とし穴ですら届かないほどの、夢の世界で、今度こそあなたは笑って暮らせているのかしら?
 私がいなくても幸せなのは、むしろあなたのほうなのに。



 私は、あなたがいなくてどうやって生きていけばいいの。
 あなたがいないのに生きる方法なんて、私は知らない。



 ねえ、どうして?



 どうして、あなたがいなくて平気だなんて思うの。
 どうすればいいのか分からない。



 愛してる。私もよ。




 だから、彼の言うとおり忘れなければならないと思った。
 せめて、一年、三百六十五日忘れなければ、私も不思議の国へと迷い込んでしまう。
 確信して、頑張って頑張って頑張って、頑張って生きてきたのよ?


 でも・・・。


 波の打つ音はこんなにも心地いい。
 あなたが飛んでいった気持ちがよく分かるわ。



 私は身体を前へ傾けた。
 目を閉じる。
 あなたの顔を思い出す。


 ねえ、一年の約束は守ったわ。
 だけどあなたがいないと幸せになれないの。


 そのとき。


 寒い空気の中を、急に暖かい風が私の横を吹き抜けて、私ははっとした。目が覚めたような気分だった。
 私は通り抜けた風を、見えもしないのに凝視する。


 ・・・ソレデモ、生キテ。


 なんて勝手なことを。
 私は唇を噛む。
 同時に涙が溢れた。
 溢れて、止まらなくて、頬を伝い、数滴がコートを濡らし、地面へ落ちた。石が濁る。


 私は持っていたカイロを捨てて、両手で涙を拭った。
 もうこれ以上溢れないように、ごしごし拭いた。


 衝動的に、もう一度あなたの墓石へと走り出す。そして、先ほど置いた花束を持って、岸へと歩いた。



 もう一年、生きたら何か答えが出るのかな。


 青空に語りかけながら、花束を持つ手を伸ばし、そのまま手を離した。勢いよく花束は落ちていき、あっという間に海がさらって行ってしまった。


 きっとあなたに届けてくれるのね。



 あたしは涙を流しながらも微笑し、踵を返した。



 胸の中に宿る疑問は、また来年に持ち越されるのね。
 そうやって、私はまた生きていくんだわ。



 そして、同じ足音を鳴らして歩く。
 海とは反対側の、現実の世界へ。





 
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