春風に舞う


 駅前のCDショップの店の前のステレオから四年前の春に流行っていた曲が流れていた。懐かしいなぁ、これって懐メロなんだろうか。そもそも懐メロって何年前の曲を言うのかな。てゆーか、昔は懐メロを「夏のメロディ」だと勘違いしていたっけなー。くだらないことを思いながら、向かっている駅に目を向けると、駅ロータリー内のバス停に見知った顔がいた。
 見知った、なんてそれは傲慢な言い方かもしれない。四年ぶりだ。ちょうどこの曲がメディアで流れていた頃に、あたしは彼に出逢った。走馬灯のように記憶が駆け巡って、あたしは十二センチヒールで器用に走った。
「知樹!」
 あたしが呼ぶと、知樹はぎょっとした顔であたしを見つめ、そしてはにかんだように笑った。笑顔が少し変わった。肩頬をゆがませるような笑い方じゃなくなった。
 季節は春で、暦は三月。コートの色が変わった人々が、何も知らないであたしたちの横を通り過ぎ、駅への階段を上っていく。
「・・・佳菜(かな)?」
「いえーすっ! 覚えられてた! 超ウレシー!」
「相変わらずっスね、佳菜サン」
 知樹は噴出したように笑った。傍に寄るとヒールを履いたあたしより背が高いのが分かった。いつの間にこんなに伸びちゃったのかな!
「あー、もう、可愛くなくなってるー!」
「いや、男デスから、可愛いって言われても・・・」
「昔はあたしより背が低くってさー、何も知らなくって、あたしのほうがイロイロ上手(うわて)だったのになぁ」
「あの、佳菜サン・・・、あんまり過去のことを振り返らないでもらえマスか」
 呆れたように笑う知樹を見て、少し悲しくなった。あの頃にはなかった光。キラキラ、キラキラ。知樹が幸せなのが分かって、腹が立った。悔しくて、あたしは知樹の腕をつかんだ。知樹が目を丸くしてあたしを見下ろした。それすらむかついて、そっと耳打ちしてやった。
「あたしが知樹のハジメテの女って覚えてるー?」
 再びぎょっとした顔であたしを見る。いちいち面白い反応だな。知樹ってこんなに表情豊かだったっけなー?
「・・・覚えてマス」
 知樹の声が風に消えた。笑い飛ばそうって思ったのに、上手く笑えなかった。


 四年前の春、中学校の制服姿で街角にうずくまっている知樹を拾った。雨が降っていた夜で、当時高校一年だったあたしはすでに乱れた生活を送っていた。親も学校も嫌いなくせに、そういう世間に依存して生きていた。いい歳した反抗期だった。
「このまま濡れていたら風邪ひくよ。ホテル行かない?」
 あたしも高校の制服着たままだったけれど、それでも入れるホテルなんてざらにあった。そういう情報を仕入れるのは容易い。
「あんた金持ち?」
 濡れた顔を拭うこともせずにあたしを見上げるその視線は、まるでナイフのように尖っていて、あたしを突き刺すようだった。その綺麗な顔立ちはなおさらその鋭さを引き立てていた。
「うん、金持ち。それが何?」
 負けないように睨み返してやると、彼は立ち上がった。それでもあたしより背が低いことがなんだか可笑しくて、思わず笑うと、更に睨まれた。
「・・・はっ、ムカつく」
 唾を吐き出すような笑い方で、そのまま知樹はあたしに唇を押し付けた。冷たかった。当たり前だった。二時間も冷たい雨は降り続けていたのだ。ただ押し付けられる冷たい唇の感触に、あたしは笑いがこみ上げるのを抑え切れなかった。この子、気取っているけれど全然オンナ慣れしてねーじゃん!
「君、何年生?」
「は・・・?」
「あたし、佳菜。高一。君は?」
「・・・知樹。・・・・・・中一」
「ふぅん。その割にはいい目しているよね。ねぇ、ホテル行かない?」
 さっきと同じ誘い方してみたら、今度は効果あった。その夜、あたしたちは濡れて冷たくなった身体を温めあった。
 孤独という氷が冷たくあたしたちの上にのしかかっていた。誰も相手にしてくれないし、誰もあたしたちの話を聞いてくれない。世間全てを諦めていた。そんな寂しさを埋めたくて、あたしは数人の男友達と寝てきたけれど(ときに彼氏と呼べる存在もいたけれど)、知樹と寝るときが一番温かかった。隙間が埋まる気がした。錯覚だってことに気づかなかったんだ。


 いくら春でも、夜になれば三月の冷え込みは春コートでは厳しい。あたしは手をこすり合わせた。
「それにしても、佳菜サン相変わらず派手な格好だね。髪の色、オレンジ?」
 バス停で二人並んで、あたしたちはまるで毎日会っているクラスメイトのように話していた。
「うん、オレンジ。あの頃は金髪だったよね、あたし。あの頃よりは大人しくなったでしょ?」
「・・・変わらねーよ」
 正直なところは変わっていない。二人で笑って、知樹の髪の色を見た。黒かった。まるで真面目な高校生のようだった。
「知樹は今何やってんのー?」
「あー、俺。この春から高校生になりマス」
「コーコーセイ!? あんたあれだけ高校行かないって言ってたのに、人間って変わるんだねー!」
 あたしも素直に驚くと、知樹は苦笑する。
「佳菜サンは今何やってんの」
「あたしは大学生。これでも金持ちのお嬢様だから」
 ムカつくな。そういう返事を期待したのに、知樹はただ笑っただけだった。その様子を見て、疑問点が浮かぶ。あたしと知樹は三歳違いで、普通だったら知樹はこの春から高校二年になるはずなのにな。
「・・・知樹、高校どこ?」
 気になって聞いてみたら、知樹は言いにくそうに、この辺で一番の進学校を口にした。
「はっ!? ちょ・・・、何、何があったの!?」
「いろいろあったよ」
 疲れたように知樹はつぶやいた。
「父親がさ、見つかって」
 その言葉に、今度はあたしが眉をしかめた。父親・・・? 知樹は幼い頃から孤児院で育てられ、そのままグレて家出を繰り返したときにあたしに出逢った。あたしとは完全に違う傷を持っていた。でも、誰よりもあたしは知樹の傍にいるって思っていたし、誰よりも知樹はあたしを理解してくれていた。そう思っていた。


「この世界にあるもの、全部ぶち壊したい」
 ホテルから見える夜景をぼんやりと眺めながら、知樹がつぶやいた。窓ガラスに映る彼の表情までは見えない。あたしはシャンプー仕立ての髪を白いタオルで拭きながら、知樹の背中にそっと近づいた。小柄なのにその広い背中に触れようとした瞬間、抱きしめられた。
「・・・知樹」
 力強い。オトコだった。あたしより三つも年下で、まだ十二歳でも。・・・十二歳。オトコだけど、コドモだ。矛盾していた。でもあたしはそれも理解したかった。知樹が泣いているように感じて、でもそれを聞くのは知樹のプライドに触れる気がして、あたしは知樹の肩におでこを押し付けた。
「・・・壊していいよ」
「佳菜・・・?」
「壊していいよ、あたしごと」
 孤児院で暮らしていた知樹が、金持ちで自由気ままに見えるあたしを憎んでいるのも知っていた。でもあたしにはあたしなりに悩みがあって、それを知樹も知っていた。そんな板ばさみに追いやったのはあたしだった。
 このまま細胞単位に壊して、二度とあたしを人間にしなくたっていい。そう思った。破壊されることを願ったのに、知樹はあたしを優しく抱いた。あたしは知樹のハジメテの女だ。でもいつの間にか、知樹のほうがあたしよりオトナになっていた。あたしの知らないところで知樹が他の女と夜を過ごしているのも知っていた。あたしたちは恋人ではなかった。契約なんて、どこにもなかった。結局は、何不自由ないあたしが、苦労して生きてきた知樹に敵うはずなんてなかった。
 何もかもが違いすぎていた。


 知樹の話を一通り聞いて、どうして怒らないのかなって思った。あたしが知樹の立場だったら、そんな勝手な親のことを怒るのに。それを言ったら、知樹が笑った。
「そりゃ怒ったけどさ。俺より怒った奴、いたから。タイミングを失っちまったんだよ」
 自嘲気味に笑って、知樹は前髪をかきあげる。
「・・・それって女?」
「うん」
 知樹の微笑がすごく腹立って、あたしは仏頂面になって肩肘で知樹の横腹を叩いた。
「痛っ、何すんだよ」
「なーんかムカついたんですぅ。人のシアワセ見るとムカつく性分なんですぅ」
「シアワセなんてただの一時的な錯覚だろ」
 知樹が言う。やけに悟った言い草だった。
「逆にさ、恨みとか憎しみとか、そうゆう汚い気持ちも一時的な感情だったらいいよね。俺、父親のこと、やっぱりムカついたけどさ。今は感謝もしているんだ。向こうには向こうなりの事情があって・・・、今ごろ俺を見つけて、すっげー大変だったと思う。それでもよくしてくれているんだ」
 あたしは呆然と知樹の言葉を聞いていた。ああ、あたしの負けだよ。あたしは大人になりきれていないんだね。悔しいけれど、なんだか嬉しい自分もいるの。あたしがどうにかして社会復帰して大学生やっているように、知樹もちゃんとその足でこの世界を歩いているということが、とても。
 知樹があたしを見て、笑った。
「だからさ、今はおまえのことも恨んでいないよ。いろいろごめんな」


 吐き捨てるように知樹がつぶやいたあの言葉をあたしは今でも忘れない。
「佳菜に会えば会うほど、憎らしくなる。本当におまえを壊してしまいそうだ」
 まだ出会って一ヶ月も経っていない夜のことだった。いつものようにホテルに行こうとしたとき、急に道の途中で立ち止まった知樹が言ったのだ。
「・・・壊していいって言ったよ」
「話にならねぇよ」
 知樹が嘲笑う。
「そんなこと言えるのは、おまえが裕福な証拠だろ。俺にはそんなおまえが分からないよ。もう一緒に居られない」
 そう言い残して、知樹は消えた。広い若者の繁華街で知樹を探すことも出来なかった。
 まだ半袖では足りない気温の春下がり。残されたあたしは呆然とその場に立ち尽くしていた。わけがわからなかった。恋人になって欲しいわけじゃない。でも、あたしには知樹が必要だった。まだまだあたしの中には知樹が足りなくて、そのまましゃがみ込んで泣きじゃくった。
 寂しさの埋め方が分からない。
 それは今でも同じだ。ただあの頃より大人になった分、上手く生きているだけで。
 あたしは知樹が好きだったんだ。あとで気付いた。どうして分からなかったんだろう。知樹にしか幸せを感じなかったのに。失ってから気付くなんて。


 駅のロータリー内のバス停にバスが到着した。知樹の乗るバスはあたしの知らない行き先だ。
「もう家に帰るなんて、本当に優等生になっちゃったんだねぇ」
 あたしが言うと、知樹はあたしを向いて、首を横に振った。
「いや、家じゃねーよ? カノジョのところデス」
「はーっ! 人に幸せを見せ付けないでくれないかなぁ!」
 あたしが言うと、知樹が目を細めて笑った。もうあたしの知らない知樹がそこにいる。そうやってあたしたちは別々の道を歩いていくんだね。
「じゃあね、佳菜。ありがとう」
「・・・うん、あたしこそ」
 列の一番後ろに知樹は並んで、もう一度あたしを見て手を振った。最後だけでもあの頃とおんなじ、呼び捨てで名前を呼んでくれたのが不覚にも嬉しかった。
「ありがとう」
 あたしが言うと、知樹が元気でなって叫んだ。もう会う気なんてない。それはあたしも一緒だよ。偶然に願うだけだ。あたしはあたしで、幸せにならなくちゃいけないから。
 出発したバスを見送って、あたしは駅への階段を駆け上がろうとして、やっぱりもう一度道を戻った。さっき通った道の前のCDショップでは、最新のオリコンチャート順に曲を流していた。まるでタイムスリップした気分だ。
 あたしは十二センチヒールで意味もなく歩いた自分に笑って、でもこんな夜もいいかもしれないと思う。こうして思い出を抱けば、傷はきっと優しい春風に舞うんだ。


 
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