変わらないモノ


 最近は時間の流れを敏感に思う。


 春は憂鬱だ。特に今年は理由ありだった。私はメイクをして、黒いスーツを身につけた。大学の入学式に来たスーツ。あの頃と私自身は変わったつもりはないのに、鏡の向こう側で白けた顔をする私は、このスーツがよく似合っている。入学式の頃のような面影なんて微塵たりともなかった。
「行ってきます」
 ヒールの高いの黒いパンプスを履いて私が声をあげると、母が頑張ってねと笑った。大好きなピンヒールは履けない。
 私はただいま就職活動中で、今日もこれから企業に赴かなければならない。
 学生が一番楽なんだと実感したのは今日この頃のことだった。例えば高校は三年間、大学は四年間、そんな枠が与えられている。それだけの年数が終われば自分はまた新たに違う環境で生きているのだろうと、それが不安でたまらない頃もあったけれど、永遠という言葉なんかよりもずっと新鮮味があって、活力がある。
 だけど就職は違う。そこに何年居続けるのか分からない。同じ場所で十年もやっていけるような精神力は相当なものな気がして、気分が滅入っていた。
「おっす、朝からしけた顔をするんじゃねーよ」
 会場の入り口で配られていたA4サイズの封筒と冊子で頭をはたかれた。顔をあげると付き合って二年経つ彼氏に出会う。
「痛いな。何するの」
「んな顔するんじゃねーって。そりゃ、面倒臭いよなぁ、春休み返上でほぼ毎日こんなつまらない説明会なんて聞かなければならないし?」
 彼はあっけらかんと笑う。それでも、見慣れないリクルートスーツ姿は彼をも大人っぽく見せる。
「けど、まぁ、来年の今頃笑っていられるなら、今なんだってやってやるって感じだよな」
 そう言い切る彼は強い。でも、でもね。私は疑問に思う。どうして未来を想像して笑っていられるの。


 私たちは大きな会議室というか、小さな講堂みたいな場所で、企業側の話を聞いていた。指定された試料に目を通しながら、脱線もしないその話を聞いていく。未来のことなんて分からないのに、自分がどんな仕事をしたいのかすら分からないのに、不安が胸を駆り立てて、次第に逃避願望のように眠くなってきた。
「馬鹿、寝るんじゃねーよ・・・」
 隣で彼氏が私にだけ聞こえるように小声でつぶやいた。
「だって眠いよ・・・。もう三時間だよ・・・?」
「だけど意外と俺らの席って、向こう側から見えているんだぞ・・・。ここでイメージダウンしてどうするんだよ・・・」
 心地よい暖房が効いた密室の中でウトウトする私の手を、彼氏が握った。温かくて、それもまた心地がよい。
 もう二週間くらい抱き合っていないなぁと、眠い頭でぼんやり思った。寂しいと思う。
 私はこの人とどのくらいの時間を共有出来るだろうか。大学で知り合って、ずっと好きだと思っていた。馬鹿にしていた世界が全て本当になった。輝きだした。自分でも驚くほどに、愛していると思った。
 それでも人間の心は変わっていくことを私は知っていた。今では彼氏も私を好きだと言って抱きしめてくれるけれど、それだっていつまでなのか分からない。一年後、二年後、十年後でも同じように私を好きと言ってくれるの?
「・・・大丈夫か?」
 横から彼が私の顔を覗き込んできて、私は驚いて首をかしげた。頬に生温かいものが伝った。
「具合悪いか?」
「え・・・」
 思わず声を出して、自分が鼻声になっているのが分かった。私は泣いていた。途端に恥ずかしくなって、私はそっと立ち上がって彼の顔も見ないまま講堂の外にある女子トイレに駆け込んだ。  個室に入って、トイレットペーパーを千切って顔に押し付けた。吸収性の優れている紙はあっという間に私の涙を吸い込んでいく。
 時間が怖い。だって目で見ることが出来ない。
 同じ場所に居続けようとすることを恐れているくせに、新しい場所に踏み出すことにも躊躇している。どうすればいいのか分からない。
 トイレの外側から、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。彼の声だった。説明会を抜け出して追いかけてくれたんだと思うと、余計に涙が溢れた。私のためにって知っていたから。
「大丈夫か?」
「・・・うん」
「じゃあ、出ておいで。さすがに俺は入れないだろ」
 冗談を言うように彼は笑うけれど、きっと私を心配してくれている。それが嬉しくて、心地よい。離したくない。居なくならないで。遠い未来さえも。


 私は誰かと一緒に生きていくことなんて出来ないと思っていた。
 当然、結婚願望なんてなかったし、一生一人でいいと思っていた。だけど二年前に彼と付き合い始めて、その考えは一変してしまった。
 ずっと一緒に生きていきたいと、協調性のかけらもない私が本気で思えた相手だった。
「大丈夫か?」
 会場のロビーで、彼は私の隣で静かに訊いた。もう何度目かになるその科白、そろそろちゃんと返事しなくちゃと思って、私は喉を意識して声を出す。
「・・・うん、ごめんね」
 私がつぶやくと、彼は優しい顔をしてかぶりを振った。
「違うよ。俺は別に、謝って欲しいわけじゃないよ」
 彼は私の手を軽く握って、私はひたすら静寂に耳を傾ける。鼓動がおさまる。彼の肩に頭を預けたかったけれど、場所が場所なのでやめておく。
「どうしたんだ?」
「え?」
「何か、嫌なことでもあった?」
 彼の問いに、私は首を横に振った。そんなことはない。こうして積極的に就職活動も出来て、彼も一緒にいてくれて、学校に行けば友達だっている。家族との仲も問題はない。なのに、一瞬でも不安がどっと押し寄せてきて、私は涙を流してしまった。
 原因は分かっているけれど、どうしようもないことだった。
「ねぇ」
 私は隣の彼を見上げた。こうしていると立っているときよりは身長差を感じなくて、嬉しかった。
「ずっと一緒にいてくれる?」
 つぶやくと、彼は驚いたように目を見開き、そのまま柔らかく笑った。
「今更何を言っているの」
 彼は言う。
「当たり前だろ」
 そんなの口約束に過ぎないと思った。それでも更に安堵に包まれて、私はもう一度鼻をすすった。
「どうしようか」
 落ち着いた頃、彼は言い出した。
「もう会場には入りにくいよな」
「あ・・・、ご、ごめん・・・」
「おまえが謝ることじゃないよ。・・・どうせだから、今日はこのままサボってご飯でも食べに行こうか」
 彼はおもちゃを見つけた子供のように言った。こんな少年っぽいところも大好きだよ。
 そうやって私は永遠という時間に畏怖し、そして憧憬を抱きながら明日からも彼を想っていくのだろう。
 私たちは立ち上がって、会場を出た。今日の企業には申し訳ないけれど、明日からまた頑張ればいいかな。そんなことを言い合いながら。
 外は見事までに青い空が広がっていた。季節はもう春なのだ。

 
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