あたしの人生は、生まれた瞬間、それこそ両親があたしの名前を付けた時点から台無しなのだと今になって思う。 二〇〇六年春。
嫌いな数字は? そう聞かれたらあたしは迷わず答えられる。 「ナナ!」 誰かと思って振り返ったら、軽そうな学生鞄を背負った幼馴染だった。 「ナナ、おまえ髪染めた? 一瞬誰かと思ったよ」 学校に行く途中の下り坂で、息をつきながら幼馴染は言う。 「染めたよ。悪い?」 「悪くねーよ? つーか何。なんでそんなに機嫌悪い?」 「朝は弱いの! 知っているくせに!」 あたしたちの付き合いは今年で七年になる。小学生の頃からこんな風につるんでいる。お互い男とか女とか関係なく。・・・きっと彼にとっては考えてもいないことだと思う。 そしてあたしの機嫌の悪い理由はもうひとつ。それに察知してくれない彼をさらに腹立だしく思う。 「そういえばさー」 奴は言う。 「あの漫画、アニメやってるらしいよ。深夜に」 「・・・ふぅん」 幼馴染の奴の言うあの漫画がどの漫画であるのかすぐに分かる。あたしと同じ名前の主人公が二人。 去年は映画化されるし、ブームが巻き起こってからあたしはこの数字も自分の名前も大嫌いだ。せめてあたしが違う名前であれば、もっと純粋にあの漫画を楽しむことが出来るのに。 そもそも恋愛漫画なんて、読むと疲れてしまう。感情移入があたしを占領して、もう何も考えられなくなる。
そしたらあたしの頭の中はあなたのことばかり。
幼馴染を好きになるなど、自分でも馬鹿げている。それでももう何年も毎日のように会っているのだ。下手に気持ちがバレてその日常を手放すなんてあたしには考えられない。 「ナナー、次は体育だよ。更衣室行こ?」 女友達が体操服が入った派手なショップ袋を抱えて来た。ついでにあたしのも持ってくれている。とあるブランドの袋。色はショッピングピンク。 意識されるのが嫌で、髪はハニーカラーに染めたし、伸ばし続けた髪はもう肩甲骨を軽く下回る。でも体育のときは邪魔で、どうしようか考える。 「ナナってさー、格好いいよねぇ」 自分で言うのもなんだけど、あたしは男よりむしろ女にモテる。そしてそれは、けっこう嬉しかったりもするのだ。 「ナナは何の香水を使っているのー?」 体操服に着替えながら、友達が言う。あたしは曖昧に笑って、髪を掻きあげて一つにまとめた。この甘ったるい香りは実はあまり好きではない。でも買ってしまった。好きではないと分かっているのに、買って付けているなんて自分でも馬鹿だと思う。 あたしはいつもひねくれ者だ。
昼前の体育がもうすぐ終わるという頃になって急に雨が降り出した。それでも頑固な先生は雨の中あたしたちを走らせ、あたしたちはずぶ濡れになった。 「あーもう! 体操服ビショビショじゃん!」 あたしの隣で着替えながら友達が叫んだ。 「あの先生、絶対スケベな目でうちらを見ていたし! セクハラで訴えてやる」 確かに、白い体操服が濡れて黒い下着が透けて見える。あたしは昔から体育大好きな人間だったし、その辺の男子にも負ける気はしないけれど、こんなときばかりは男子とは別でよかったと思う。今日の男子は体育館でバスケだと幼馴染が言っていた。 「傘、持ってきてないな」 あたしがつぶやくと、友達もうなずく。 「どうしよう。カレシに迎えに来てもらおっかな」 彼女は大学生の彼氏を持つ。時々会話の隙間にオトナの恋の魅力が刻まれていてとても羨ましく思うけれど、どうしてもあたしはそれが出来なかった。臆病なくせに、諦めが悪い。なんて最低な悪循環。 まだ雨は止まない。
帰りの時間になっても雨はやまなくて、あたしは途方に暮れた。整理されていないロッカーの中を掻き回してみるけれど、折り畳み傘は見当たらない。先日持って帰ってからまだ持ってきていないのだから当たり前だった。 「ナナー、おまえ何やってんの?」 放課後、誰もいない教室で鞄を持った幼馴染がドアに寄りかかって立っていた。いつからいたんだろう、気付かなかった。あたしの彼も部活には入っていない。お互い人間があまり得意ではない、人間関係をこれ以上広げることを意思的には行わないのだ。 そういうところだけ、あたし達は似ている。 「・・・雨やどり」 「マジで? 俺、傘持っているよ。入れてやるよ」 悪気もなく笑う彼を見て、顔が熱くなった。それを見られたくなくて慌てて顔をそらした。 「あんたがそう言うなら、入ってやってもいいよ?」 ひねくれたあたしは本当に可愛げがない。もっと可愛い性格だったら、この恋はもっとスムーズだったのだろうかと考えるけれど、こればかりは仕方がない。そんなに簡単な想いじゃない。
一度くしゃみをすると、隣で幼馴染が笑った。いつもと同じ帰り道。幼馴染と二人で帰るコトだって珍しくもない。だけど、いつもと違うのは二人の距離。お互いが傘に入ろうとするせいで、何度か肩が当たる。それだけでドキドキする。 「大丈夫か?」 「ん・・・、体育のときに濡れたから」 「ちゃんと乾かせよ。まだ髪、濡れてるんじゃね?」 あたしの髪を軽く引っ張って、彼は言う。 「もう、ちゃんと傘持ってよ! 濡れるじゃん」 悪気がないから質が悪い。人の気も知らないで。睨みつけると、奴はあたしから手を離した。あたしからそれを望んだくせに、もうその温もりが恋しい。 「おまえ、入れてもらっているくせにいい態度だなー。つーか、もうあんまり雨降ってないじゃん」 傘を前にやって、空を見上げる。いつの間にか、雨は止んでいた。空はまだ憂うつな灰色だけど。 「ナナ」 傘を閉じてから幼馴染はあたしの名前を呼び、鞄の中から一つの包みを出した。 「・・・何コレ」 「今日、おまえの誕生日だろ。十七歳、オメデトウ」 「・・・・・・・・・・・・」 あたしは誰にも気を許さないから今日が誕生日であることすら知られていない。でもこの幼馴染だけはいつも覚えていてくれる。毎年のこと。いつもオメデトウと言われるたびに、これから一年も頑張れるとあたしは思っていた。 だけど。 「プレゼント・・・、あんたからもらったの初めてだよ・・・」 震える手でその包みを受け取った。大きさの割には重かった。 「今開けていい?」 幼馴染がうなずくのを確認をしてから包みを丁寧に開ける。中には香水が入っていた。あたしの好きな某ブランドの。 「おまえ、好きだろ?」 幼馴染は言った。あたしは目を見開いて、彼を見つめた。 「・・・・・・どうして、それを。あたし誰にも言ったことないのに」 「知っているよ」 彼は笑った。 「おまえ見ていたから、知ってるよ。そのブランドが好きなのも、そういう香りが好きなのも、俺のことが好きなのも」 空を仰ぎながら言う彼を見て、言葉にならない感情が込み上げてきた。その感情とは裏腹に、どこか冷静なあたしもいた。ああ、バレていたんだと。 「そんで、おまえが臆病になっていたのも知っていたよ。・・・俺もそうだったから」 人通りの少ない住宅街の道路の真ん中で立ち止まって、あたしを見つめて彼はそう言った。彼を見上げながら、いつの間にこんなに背が高くなっていたのだろうと思った。あたしもずっと彼が好きで、彼を見ていたくせに、彼のことを何も知らないと思った。なのに彼はあたしを見ていてくれた。それがとても嬉しくて、じわじわと何かが広がって、でもそれをどう表現すればいいのか分からなくてもどかしさを感じた。 気付いたら、頬に生温かいものが流れた。 「ナナ!?」 それを手で拭うことも忘れて、ただ呆然と突っ立っているあたしを見て、彼が慌ててあたしを呼んだ。それに気付いて、あたしは涙を拭って、彼を見上げた。 「・・・ありがとね」 ひねくれ者のあたしの、正直な言葉。あたしの言葉に彼は最初驚いたような顔をして、でも微笑んで、あたしを抱き寄せた。ずっと一緒にいたけれど、初めて聞く彼の鼓動。あたしと同じで速くて、とても安心した。 「あ・・・・・・」 七秒くらい経ってから、彼はつぶやいてあたしを離した。まだその温もりが足りないあたしは怪訝な顔をして彼を見つめると、それが伝わったのか彼は笑い、空を指差した。 「ナナ、虹が出てる」 彼の指の先を追って空を見上げると、いつの間にか雲の隙間から小さく青空が覗いていて、七色の光が鈍く光っていた。 「ナナと同じだよね」 幼馴染は言う。 「俺はナナの名前も好きだよ。ナナがナナでよかった」 そう言ってくれる幼馴染を見て、さらに泣きそうになってしまった。今までずっと彼を好きだったけれど、今この瞬間ほどあふれ出しそうなときはない。これからずっと、今まで以上に彼と一緒にいたいと思う。 そして、嫌いだった数字が今好きになるのだ。 あたしの名前はナナ。誇りを持って、答えよう。
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