18歳、迎える春


 世の中にはどうにもならないことが存在する。
 制服のブラウスのボタンを一つ一つ丁寧に留めながら、私は思う。ネクタイをいつもよりもきつく締めて、スカートの長さもいつもより長めで、学校指定のダサい靴下を履いて。鏡に映る自分に言い聞かせる。どうしようもなかったのだと。


 受験が始まると学校へは行かなくてもよかったので、この校門をくぐるのはとても久しぶりな気がした。そして今日が最後だ。もう三月になったというのに、桜は咲いていない。
「結衣子(ゆいこ)」
 私の名前を呼ぶ女友達も、いつもよりもダサい格好で、真面目で、二人して笑った。
「久しぶりだね。大学決まった?」
「滑り止めは受かって、今は本命の結果待ち」
 口を開けば、近い将来の話。まだあやふやで不安定で、時間の流れについていけなくなる瞬間もある。
「啓史(けいじ)とは遠恋になっちゃうの?」
 友達に同情の目を向けられて、私は首を横に振る。――違うの、別れるのよ。


 喧嘩をしたわけでも他に好きな人が出来たわけでもないのに、私たちは別れを選んだ。お互い地元を離れる。彼は東へ、私は西へ。学生の間は交通費をかけて会うことすらままならない。
 遠距離恋愛。そういう選択もあった。だけど私は選ばなかった。
 無駄に長くて眠い卒業式。私は冷たくなる手をこすり合わせながら、つまらない校長や来賓の人たちの話を聞いていた。感慨深くなれないのはなぜだろう。中学校の卒業式の頃のように、もっと泣けると思ったのに。
 卒業式の会場となっているこの場所がとても無機質に感じる。マイクの音も私の鼓膜を震わさない。高い天井をぼんやりと眺める。昼休み、いつもこの場所で男女でバスケをしたっけ。そして新しい生活を思う。不安になる。知らない土地で、私は今までと同じように生きていけるの?
 普遍的な卒業式が終わり、体育館を出ると、肩を叩かれた。
「ユイ」
 懐かしい声に、心臓が震える。急に感情を取り戻す。ゆっくりと振り返ると、啓史の笑顔がそこにあった。
「卒業、しちゃったね・・・」
 私がつぶやくと、啓史は目を細めた。受験中もほとんど会うことがなかった。選択を下したのはクリスマス二日後。それからはお互い冷めるしかなかった。別れると知っていて、抱き合うほど器用になれなかった。
 私たちが一緒に過ごしたのはどのくらいの時間だっただろう。啓史に好きだと言われたのが高校二年の夏。驚いた私がすぐに返事を出来なくて、結局付き合い始めたのは秋だった。一年半にも満たない時間の中で、もっと大事にすればよかったという思いが今更こみ上げてくる。
「ユイ、俺、大学受かったよ」
 何でもないことのように見せかけて、それでも震えているのを隠しきれていない彼が私は大好きだ。とても正直な人。いつだって嘘をつけない人。
「おめでとう」
 私が言うと、啓史は目を伏せた。
 どうしようもないのよ。いつかの私が投げた言葉できっと彼は傷ついている。
 私はとてもリアリストで、夢だけを見て生きる人間を嫌いなの。人間はとても単純で、とても寂しい存在だから、どんなに想っていても近くにある温もりに触れないと気が済まない生き物なの。いつだって不安を抱えながら遠くにいる啓史を好きでいる自信なんてないよ。永遠に啓史に想ってもらえる保障もないのに。
 酷い言葉を並べて、嫌われる覚悟で話した十二月の終わり。それでも、啓史は別れようと言わなかった。卒業までは一緒にいようと言ってくれた。そんな優しさが人を傷つけることもあるということを、純粋な彼は知らない。
「ユイ、どうしても・・・・・・・・、別れないと駄目か?」
 私の顔を見ないで、とても切ない声で啓史が言う。思わず否定してしまいそうになるのをこらえて、私は啓史を睨む。
「話し合ってそう決めたじゃない」
 冷たい声で言いながら、涙が出そうになる。今泣いたら駄目だ。私は悪役でもいい。
 どうして私たちは子供なんだろう。五年後、同じ状況にいるならば、きっと私は啓史を選ぶ。でも私たちは十八歳で、これからも学生を続ける。まだ子供だ。
 自分の非力さを呪う。夢も語れずに、いつだって私は弱い。もう少し強かったら、私はこんな風に啓史を苦しめたりしないのに。
 啓史はゆっくりと視線を上げて、私の目を捉えた。いつもは優しいのに、時々鋭い視線を向ける彼は、とてもオトコだった。そういうところも私の心を乱した。
「それでも、俺はずっとユイを好きだよ」
「・・・人間の心なんて分からないよ。すぐに変わるものなんだから」
「それなら、俺は待つよ。お互い卒業するまで、ユイが他の男を好きになっても、きっと俺は待つよ」
 夢を語る彼を嫌いじゃない。それでも私は突き放す。
「夢ばかり見る人を、私は嫌いよ」
 彼を押しのけて、私は歩き出す。方向も定まっていないのに、ただ彼から逃げる。
 嘘よ、本当は私だってきっとずっと好きだよ。つまらない高校生活の中で、私に光を与えてくれたのは啓史なんだよ。ありがとうって言いたかったのに、言えなかった。啓史はいつも私に気持ちを伝えてくれたのに、意地っ張りな私は最後までちゃんと好きだと言えないままだった。このまま終わってしまうのが怖い。私が選んだことなのに、永遠に終わってしまうなんてありえない。
 好きだよ、啓史。
 このまま私をさらって、遠くへ連れ去って。そんなことで生きていけるはずがないと分かっているのに、願ってしまう。
 校舎の陰まで走って、私は涙をこぼした。
 私だって、待ちたいよ。啓史が傷ついたとき、不安なとき、いつだって傍にいたいよ。それが出来ないなんて、耐えられない。
 世の中にはこんな辛い別れ方があるなんて知らなかった。啓史に嫌われたほうがずっと楽だった。校舎の外壁に寄りかかって、手で涙を拭う。掬いきれなかった涙はそのまま落ちてスカートを濡らす。もうどうなってもいい。この制服を着るのももう最後だ。
 スカートのポケットの中で携帯電話が震える。きっと午後の謝恩会のことだろう。私はとても電話に出られる状態じゃなくて、そのまま自分の呼吸が震えるのを待った。
「啓史・・・・・・」
 つぶやいた声は、まだ冷たい風の中に消えていく。さまざまな思い出が私の脳裏に蘇る。こんな辛い恋愛、しないほうがよかったのかな。
「ユイ、見つけた」
 たとえ背後から愛しい声が降ってきても、私は惑わされない。心に強く決めながら、私はまた振り返る。






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