十万回のアイラブユー


 輸入雑貨が盛んな店に入ったらかぼちゃがたくさんあった。何事かと思えばもうすぐハロウィンだった。日本の国まで侵食するかぼちゃの化け物に、わたしはため息をついた。ここは日本だよ関係ないよお菓子をあげなくたってイタズラされる義務はないんだよ?
 ということはクリスマスまではあと二ヶ月と十日くらいだったかな。あと七十日。それって時間に換算すると十万だったっけね、なんてどうでもいい知識を思い浮かべながら、再びため息をつく。
 そうなると彼氏へのプレゼントってやつが付き物なんだ。そうでなくても金のかかる年末年始、もともとプレゼントを選ぶのも得意じゃないわたしにとっては面倒臭いこと極まりない! って叫んだら、彼氏はあっさりとそうだなって同意をした。
「じゃあ今年はプレゼントお互いなしにしようぜ」
 ちょっとそれはそれで虚しくない? いくら二人で過ごし始めて三回目のクリスマスだからってさ。


 友達が言う。
「長い時間付き合うと好きかどうか分からなくならない?」
 確かにその通り。ていうかね、好きなだけどね。うん、すきなのよ。だけど、それでも不安になるんだ。
 そうは言ってもピュアだとか片想いだとか幻想を抱くような歳なんてもう卒業してしまって、大人になるなんてつまらなすぎるよって最近特に思う。学校帰りに外に出るともう暗くなっていて、まだ六時にもなっていないのに暗くて、余計へこんだ。なんでかな。時間の流れが身に染みる。このまま大人になっていくんだ。一時間、一時間、短い針が動くたびに、ううん、本当は一分、一秒、わたしは歳をとっていって、このままどこに向かうのだろうってとても不安になる。
 こんなとき、無性に彼氏に会いたくなるわたしは気分屋で傲慢で、わがままなのかな。虫が良すぎるって言われるかもしれない。だけど、ちゃんと一人で生きていかなくちゃって思うたびに、どこかで何かが崩れていくのを感じた。ガラガラガラと音を立てて、わたしが生まれたときから少しずつ少しずつ築き上げてきた大切なもの。
 冷たい風が足の間を通り過ぎて、思わず立ち止まった。スカートが舞う。ニットのコートを羽織った体を右手で抱いて、再び歩き出した。
 ゴールなんてないと知ったのはいつのことだろう。


 そんなどこか空っぽな日々を送っていた。秋は苦手だ。暗くなる時間が早くて、解放的な夏も終わってしまって、どんどん厚着を強いられて、そして精神的に不安定になる。
 深いため息をついたとき携帯電話が鳴った。
「あ、起きてた?」
 午後五時。学校から帰ったばかりでいきなりこの科白を吐かれると、割と温厚だと言われるわたしでもむっとする。相手が彼氏であればその苛立ちは数倍に上る。
「・・・起きてたけど。何。どうしたの?」
「今から会おうぜ。あと五分でおまえん家着くから」
「はぁ!?」
 わたしは叫んで部屋を見渡した。無気力な最近は部屋の掃除なんてもちろんしているわけもなく、携帯を放り投げて慌てて散らかっている服をベッドに投げつけた。散らばっている教科書を本棚に入れて、入りきらない分は邪魔にならない場所に重ねた。洗っていない食器を慌ててシンクの中に重ねて水道を勢いよく出して、水が飛び散ってカーディガンが水滴で濡れた。
 ため息をついたとき、チャイムが鳴った。
 わたしは重いため息をついた。今は彼に会う気分じゃないのに。重たいドアを開けると、彼が立っていた。
「もうどうして急に来るの!? 前もって連絡し・・・・・」
「トリック、オア、トリート?」
 わたしが言い終わらないうちに彼氏が日本語ではない言語を私に投げかけた。
「・・・・・・は?」
「トリック、オア、トリート?」
 ―――略して、お菓子くれなきゃ悪戯するぞ?
 って、可愛くないんだよ! ここは日本だよ何考えているんだよ!
 一気にいろんなものがわたしの頭の中で叫びをたてて、そして今日が十月三十一日だということを今になって思い出した。今日という日が始まってもう十七時間も経っていたとうのに。
「トリック、オア・・・」
「あー、もう分かった! 分かったからとにかく上がってよ」
 私は彼の腕を引っ張って部屋の中に入れた。こんな阿呆な男、同じマンションの人間に見られたら恥ずかしい極まりない。
 別にわたしたちはイベント好きでもなんでもない。クリスマスを面倒だと言った私に同意してくれる彼氏。そんなカップルだ。ハロウィンなんて反日本的なものなんてもってのほか。
 わたしは冷蔵庫を開けて、何か甘いものがあったかどうか探してみるけれど、最近のわたしはろくに食べていなくて、スイーツなんてあるわけもなく。途方に暮れて、慣れたように床に座り込む彼を見ると、彼はにんまりと笑った。
「来いよ」
 手招きして、わたしを引き寄せる。その大きな手が今はとても憎らしい。わたしは観念した。
「お菓子なんてない。好きにして」
「まぁな。こんな散らかり放題の家に、おまえはこんなに痩せて、甘いもんなんてあるわけないだろうな。でもさ」
 彼は私を抱きしめた。とても優しく、大切なものを操るように。多分彼も分かったんだろう。触っただけでわたしが痩せたこと。この季節はいつもそうだ。わけもなくわたしは寂しくなって、そして泣きたくなる。情緒不安定、言葉で片付けたら簡単なことだけど、わたしには死にたくなるほど辛い衝動。
 彼はわたしにそっとキスをした。二秒ほどしてから唇を離し、近距離で彼はわたしの瞳を覗き込んで、笑った。指でわたしの唇をなぞる。
「甘いもの、ここにあるよね」
「・・・どうしたの」
 急にアメリカの影響なんか受けて、こんな甘くて臭い科白を吐くような男じゃないでしょう? 呆れながらも、おかしくて笑ってしまった。笑いながら涙が出た。変なの。
「なんで俺を呼ばない?」
「・・・・・・・・・だって」
 彼の真剣な視線が痛くて、わたしはうつむいた。こんなに弱いのはわたしの責任で、あなたには関係のないこと。巻き込みたくないんだよ。言い切らないうちに、彼はわたしを抱きしめた。
「アイ、ラブ、ユー」
 耳元で囁かれる。
「・・・なんて。日本語より英語のほうが少しは恥ずかしくないかなって思ったけど、やっぱり恥ずかしいな、コレ」
 彼が笑って、その振動がわたしにも響く。嬉しくて腕の力を強めて、その大きな背中をぎゅっとした。抱きしめた。
「でも、本当だから。一人で泣くんじゃねえよ・・・」
 うん。ごめん、ごめんね。面倒臭いなんて言ってごめん。もうわたしたちは長いこと一緒にいるけれど、こんなにも好きなんだと思い知った。忘れかけていた。だけどこの優しさが心に染みて、ベタな甘さが今はこんなに胸に響く。
「・・・ミー、トゥー」
 わたしが真似をして彼の耳元で囁くと、彼はぶっと噴出した。
「あー、もう駄目だ、駄目だ! やっぱ恥ずかしすぎる」
「何よ、自分で言い出したんじゃない!」
「俺たちは日本人なの! 俺は日本男児なんだ、素直に愛を語れるわけねーよ!!」
 腹を抱えて笑う彼を見て、わたしも噴出すように笑った。こんなに笑ったのは久しぶりのことだった。
 でもとても嬉しかったんだよ。恥ずかしいから言わないけれどね。
 簡単に言葉に出来ないけれど、アイラブユーって心の中で何度でも叫ぼうと思った。これからは愛しいと感じるたびに、大好きだと感じるたびに、優しさに触れるたびに、その笑顔に魅了されるたびに、日本語で愛しているって感じたい。
 生きている間に何回言えるだろう。千回、一万回、ううん、もっとだ。十万回。もっと、もっとそれ以上に。
 ゴールなんてない。でもそれを幸せだと思った瞬間だった。


 明日になったら輸入雑貨店に行こうと思った。
 もうかぼちゃの影なんてどこにも見当たらなくて、店いっぱいにはクリスマスツリーに塗り替えられているのだろう。
 まだ時間はある。彼氏のプレゼント探しって奴を楽しんでみようかな。だってやっぱりわたしは、彼を愛しちゃっているのだ。




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