その先にあるもの


 あくびを噛み殺して深夜番組を観ている。別に観なければならないという決まりなどなかったが、意味もなく意地になった。すっかり歌う事をやめてしまった携帯電話はベッドの奥深くに潜っている。



「このままじゃだめなんだよ」
 抽象的な言葉ばかりを並べるこっちに対して彼女が残したのはやはり、どこか芯を捉えない言葉だった。
 テーブルにふたつ置かれたマグカップの片方にはまだ並々と、冷え切ったコーヒーが息を潜めている。
「だめって何が?」
 今ひとつピンと来ない台詞を自分の中で噛み砕こうと問い掛ける。付き合いはそれ程長くないので相手の言葉に含まれた別の意味など解釈しようがない。
 すると彼女は俯いたまま深いため息をついて「とにかく」と吐き出す。
「今のあなたに何を言っても無駄だと思う。そのうちわかってくれたらいい」
「何それ」
 喧嘩は日常茶飯事だった。理由は挙げればきりがない程で、しかも些細な事ばかりだ。お互い自己主張が強くて自分の考えをなかなか曲げない。激しく互いを罵り合って二度と会うものかと吐き捨てた事もあった。
 それでも結局いつの間にかそんな事など忘れたかのように、どちらからともなく連絡を取り合っていた。結構うまくいっているものだと思っていたのは、こっちの自分勝手な解釈だったのか。
 元から彼女はそれ程口数が多い方ではなかった。怒った時は異常なまでに饒舌だが、普段は静かにこっちの話に耳を傾けていた。今の気持ちをうまく表現できる言葉などないと言い切った彼女は、ひとつ大きな息を吐いて部屋から出て行った。



 今日もまた、ため息をひとつ吐いて一日が過ぎて行く。
 番組の放送が終わって真っ暗になったテレビを消すとやけに暗い室内。それだけで妙に物寂しい気分になる。ひとりの時間か暗闇か、どちらが連れてきたとも言えない孤独を手のひらの上で転がしながらまたひとつ夜を越えていく。
 朝、目を覚ませばいつも通りにシャツに袖を通して部屋を出る。何も違いなどありはしない。
 ため息混じりに横断歩道を渡り、ビルの隙間から覗く青空を見上げて進んで行く。変わるってのは結構難しいのだ、理想の自分にさえまだ遠く及ばないというのに。さっくり手を振って自分の弱さと別れられるなら、これ以上いい事なんかない。
 新しい何かを予感させる春の風が交差点の真ん中で渦を巻く。その渦に乗っかって空まで飛んでみようか。進むだけなら怖くない、忘れる事だってできそうだ。ただそれではきっと彼女の残した言葉の意味などわからないのだろう。
 前に踏み込む一歩もこっそり後退する一歩も絶対値で言うならば同じになるのだ。どうせならプラスの一歩を踏み出したい。半分は躍起、もう半分は小さいかもしれないが捨てられない、石ころみたいなプライド。
 小走りで渦に近づくと、人いきれを感じる交差点の向こうに見慣れた背中を見つけて立ち止まった。やがてゆっくりと振り返った向こうはこちらに気づかないまま、颯爽と向かってくる。
 視線はわずかに上向きで、遠くの空を眺めているようにも見える。清々しさすら感じられるその表情は久しく見ていない、まるで別人のようなものである。それを認めると無性に嬉しくなって自然と口元が綻ぶ。それを何とか押し留めようと唇を強く噛んだ。
 渦はいつの間にかどこか遠くへ消えてしまっている。信号が点滅しだしたのに気づいて慌てて駆け出した。
 横断歩道を渡り切って振り返ったが、もう既に誰かの姿は人ごみに消えていた。もう振り返らずに歩いて行く。
 その先にある空に、今は答えを預けたまま。


この作品は『ARUGURU』様の二周年企画の中で、フリー小説として掲載されていたので、お持ち帰りしてきたものです。
別れが辛いのはとても当たり前な話ですよね。分かっているのになれることが出来ない。
人間ってすごく脆いなと思いつつ、何よりも人間らしいこの作品の主人公がとても好きです。
別れがいつか何かをもたらしてくれるなら、救われますよね。
魔々様、二周年おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします☆

from『ARUGURU』様


 
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