風邪の効果
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静かな物音と激しい頭痛で目を覚ました。
「アレ・・・・・・」
冷たい床の上。でもいつもと同じ匂いの部屋。もしやここは。
「なんで俺、こんなトコロにいるんだ・・・?」
「それはこっちの科白よ」
独り言に対する思いも寄らない返事に銀時は顔をあげかけたが、頭痛が酷く、身動きさえ取れない。
ここは玄関。分かるのはそれだけで、昨日の晩の最後の店や、帰り道のことなど覚えていない。さすが帰巣能力は優れている。さすが俺、と思いながらも、床に這いつくばったまま自画自賛したところで情けなさは否めない。
「ちょっと銀時、また飲みすぎたの?」
「・・・俺は酔ってねー」
「そりゃ翌日の昼になっても酒が抜けていないほうが問題よ」
「・・・なんで、おまえここにいるんだ?」
見上げなくても分かる。いつもと同じ落ち着いたトーンの声。香り。雰囲気。全てがもう銀時に染み付いていて、取れることなんて出来なかった。
「今日、スーパーでプリンが安かったからみんなで食べようと思って買ってきたのよ」
平凡な理由で週に三回以上は万事屋に来てくれるその恋人がとても愛しくて。
・・・なのにこの格好。
冷蔵庫借りるわね、と彼女は下駄を脱ぎ、銀時を跨いで台所へ向かった。離れてやっと彼女の姿を視界に捕らえることに成功する。
相変わらず細い背中。自分とは正反対の漆黒のまっすぐで長い髪。仕事前ではない彼女の髪はきれいにブローされていて、彼女が歩くたびに揺れた。
その髪に触りたい。
「銀時、いつまでそこに転がっているのよ」
呆れた声では銀時を見下ろした。
「・・・身体が思うように動かねェんだよ」
「いい歳して飲みすぎよ。いい? もう銀時は若くないの。飲みすぎて翌日に復帰できないのがその証拠。もう無茶出来る年齢じゃないのよ」
銀時の傍でしゃがんで、はぴしゃりと言う。言われていることは紛れもなく正しいので、反論も出来ない。
「・・・母ちゃんみてー」
「え、何?」
「・・・なんでもねェよ」
「あたし、銀時の母親なんかになるの嫌だからね。世間に顔向け出来なくなっちゃう」
聞こえてるんじゃねえかと、いつもであればここで突っ込むのだが、そんな気力すら起こらない。
身体がだるい。
「銀時・・・?」
さすがに異変に気付いたのか、はそっと手を伸ばして銀時に触れた。
「ちょっと・・・銀時、熱あるんじゃない?」
「ああ?」
「熱! 風邪ひいていたの? どうして言わないのよ」
「・・・そういや妙に関節が痛てぇ」
「それが風邪なの。どうしていい歳して人に言われるまで気付かないかな」
今度は心配を隠さない言い方で、が銀時の肩に触れた。
「立ち上がれる?」
「・・・うーん」
「こんなところで寝たら駄目だよ。布団の中で温まって」
が力を入れて銀時を起こす。小さい手だなとぼんやりとした頭で銀時は思う。こんな手をぎゅっと握ったらすぐに壊れてしまいそうだ。この身体でさえ、細くてやわくて、いつ壊してしまうのか考えると怖くなる。
座り込むと、腰に重心がかかり、背骨が痛い。目の前で銀時の顔を覗き込むを見て、そのまま銀時は縋るように手を伸ばした。
「が温めろよ・・・・・・」
一瞬の身体が硬直した。その隙にの胸に頭を押し付ける。柔らかい。温かい。冷たい床とは正反対だ。ずっとこれを欲していたのだと気付く。
「ちょっと銀時!? いい加減にして?」
怒鳴られても責められても、今は、今だけは離したくなくて。
可笑しいと思う。いつもの自分ならこんなことしないのに。呼吸をするのも苦しくて、身体が火照っていて、思考能力が鈍い。
視界が濡れて見える。ああ、熱のせいだ。
風邪のせいでいつもは出来ないことをしてしまうのだろうか。
「・・・」
「な、何・・・」
「傍にいろよ・・・」
いつも言えない言葉を、願望を、口に出してしまう。重症だ。
「・・・分かった」
は静かにうなずいて、そっと銀時の頭を両腕で抱きしめた。それはまるで母親みたいに優しくて。
「分かったから、布団に行こう?」
もうそれは咎める口調じゃなくて、温もりに眩暈すら感じた。
「・・・プリン食いてェ」
「風邪治ってからね」
身体に負担のかかるこの症状も、に寄りかかりたいこの症状も、いつもより素直になってしまう恥知らずさも、全部全部。
風邪の効果だといい。
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