あなただけ



 あ、と思ったときには遅かった。
 仕事上、仕方ないのかもしれない。
 酔っていたかもしれない。
 それでも。
 キス。


 銀時以外の男に。


 キス、されてしまった・・・。










 肩を落としながら、賑わうかぶき町をうつむいてはゆっくりと歩いた。
 他のキャバクラの子を見ていたら、キスくらい簡単に許している女の子もいた。それでも自分は絶対嫌だと思っていた。
 思っていたのに。
 意外とあっけないんだなとも思う。嫌だとかそんなの思う暇もなく、ただ何も感じないだけ。でも銀時には知られたくない。知られないようにしなくちゃ。
 涙が浮かんだ。
 無理やり迫った男のことより、簡単に受け入れてしまった愚かな自分に腹が立つ。

「あなた、危ないわよ」

 後ろから優しい声がかかって、前を向くと目の前に電柱があった。
 今の声がなかったら・・・、考えただけでぞっとする。は慌てて振り向いた。

「あ・・・、ありがとうございます」

 視線の先には、綺麗な着物を着た女が立っていた。と同じ歳くらいだろうか、黒い髪を後ろでまとめていて、その微笑みに隙が見当たらない。

「どういたしまして。でも危なかったわね。お酒の飲みすぎ?」
「・・・いえ、そんなことはないんですけれど」
「気をつけてね。私と同業者、かしら?」
「同業者?」
「私はこの近くの『スナックすまいる』で働いているのよ」

 その店は、あまりこの世界に詳しくないでも知っていた。大手のキャバクラだ。それでも女の着る着物は派手すぎず、上品な香りが漂う。

「大変なお仕事だけど、お互い頑張りましょうね。私たちは夜の蝶なのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 いつものなら、きっとうなずいた。
 でも今はうなずけない。唇と舌に残る嫌な感触。
 返事の代わりに涙が出た。



 彼女はの隣をゆっくりと歩いた。
 しどろもどろに話すの愚痴を、相槌を打ちながら聞いてくれた。
「・・・そういうことも、あるわ」
 彼女は言った。

「でも負けちゃ駄目。殴り返すのよ、グーで」
「え!? でもお客様だし」
「お客だからってなんだっていうの。所詮馬鹿な男だと思えば気が楽じゃない。そうね、手を傷めるのが嫌だったらテーブルを蹴り飛ばすのもいいわ」
「えええ!?」

 涼しい笑顔で何を言っちゃっているのだろう、彼女は。は驚きを通り越して、おかしくなって笑った。

「そういうこと、しているんですか?」
「もちろんよ。女は最強なのよ」

 微笑みながら彼女は言う。
 とても羨ましいと思った。この人みたいに強く華やかに働くことが出来たら。

「ところで家はこっちの方向でいいのかしら?」
「あ、ハイ・・・。家、というより、彼氏の家に行きたいから」
「そう。正直に言ってしまったほうがいいわよ」
「・・・そうですか?」
「あとでバレるくらいなら今のうちに言ったほうがお互いのためでしょう?」

 悟った顔で彼女は言う。

「そこで怒るような男は殴ればいいのよ」

 まるで彼女の口癖のようなその単語を、趣味なんですかSなんですか、という突っ込みをしたくなるほど、会話は弾み、は胸の痛みが和らいでいくのを感じた。

「ところで、恋人はどちらへお住まい?」
「えっと、かぶき町五丁目の、万事屋なんですけれど・・・」

 がつぶやくと、隣の空気が冷えた。・・・気がした。

「え? よく聞こえなかったわ」
「あ、だから五丁目の、万事屋をやっている人なんで、そこに住んでいるんですけれど」
「・・・まさか白髪頭の人じゃないでしょうね?」
「ええっと・・・、白髪といいますか、銀髪?」
「締まりのない顔の府抜けた男?」
「・・・そう、です、ね・・・。って、知り合いなんですか!?」


 夜だというのには声をあげた。
 彼女はにっこりと笑った。
 どうしよう、もしかしたら銀時の元恋人なのだろうか。それともそれは現在進行形であたしは遊ばれている!?

「あなた、あんな男はやめといたほうがいいと思うけど」

 それは、も思う。こんな男の何がいいのか、長所を挙げろと言われても困るような人間を。しかも短所はたくさん思い当たるし。
 だけど、それでも、銀時が好きなのだ。銀時しかいらないし、銀時としかキスをしたくない。



「おぅ、お妙。久しぶりだな」

 玄関を開けると、を見る前にその言葉を吐く恋人を見て、は眉をひそめた。

「いつまで経ってもハーゲンダッツを持ってこないから、待てなくて来てしまったわ」
「はァ!? なんで俺がおまえにハーゲンダッツを持っていかなきゃならないんだよ」
「まあ、いいわ。新ちゃんと神楽ちゃんに買って来てもらいましょう」
「おまえ、人の従業員を何こき使っちゃってんのォォ!?」
「その前に新ちゃんは私の弟、神楽ちゃんは私の妹よ」
「妹じゃねえから。つーか、兄弟なら二人ともおまえん家持って帰ってくれよ。神楽の食費、マジで苦しいんだよ」

 玄関口で咲く会話。だって銀時とこんなに盛り上がったことはない。この女は何者なのだろうか。はお妙と呼ばれた女を見た。

「ああ、やっぱり私も行かなくちゃ。新ちゃん、神楽ちゃん、いるんでしょ? コンビニに行くわよ!」

 を見たお妙は、部屋の奥に呼びかけた。

「姉上! どうしたんですか?」
「アネゴ、久しぶりアルな! コンビニ行くのか? でも今日はジャンプの発売日じゃないネ」

 母親に懐く子供達のように、奥から出て来た二人は歓喜を表す。

も、いらっしゃいアル」
「あ、うん・・・」

 この万事屋での見慣れぬ光景に呆気にとられていたは、神楽への返事を濁した。

「それじゃ、行ってくるから後は頼むわね」

 お妙は意味ありげに微笑んで、二人を連れて外へ出て行った。



 リビングに入って、銀時はソファにどさりと座った。は座れないまま、ただ突っ立った。

、座らねえのか?」
「・・・・・・さっきの人、誰?」
「え? おまえ一緒に帰ってきたから知り合いなのかと、こっちが驚いてんだけど」
「偶然会っただけだよ。銀時の知り合いなんて知らなかった! 誰? 恋人?」
「はぁ? 俺のコイビトはおまえじゃん?」

 ワケわかんねー、とつぶやきながら、銀時はあくびをした。

「お妙は新八の姉貴だよ」
「あ、新八くんの・・・。お姉さん、いたんだ。・・・素敵な人だよね」
「外見に騙されるな。アイツはゴリラに育てられた女だから。俺なんかいつも命狙われているから」


 つぶやく銀時にさえ不安を感じて、は銀時の隣に座った。

「・・・銀時」
「んん?」

 は銀時に顔を寄せて、キスをした。今日の傷を塞ぐために。こんなことじゃ塞ぎきれないと分かっていても。

「・・・?」

 いつもと様子の違うに気付いた銀時は、の顔を覗き込んだ。

「なんで泣いてんだよ」
「・・・あたし、あたしには銀時しかいらないんだよ」

 涙声で、嗚咽を漏らしながらはつぶやいた。

「でも、銀時は・・・、銀時にはあたしだけじゃないのかなって思ったら、すごく悲しくなっちゃって・・・」
「・・・・・・そんなわけねえだろ? お妙のこと気にしているのか? あんなのただのゴリラじゃん。凶器じゃん」
「・・・銀時」

 銀時の肩に額をくっつけた。言葉が出ない。

「あたしのこと、嫌いにならないで・・・・・・・・・」

 ただ必死に縋る。

「お願い、嫌いにならないで・・・」

「何言ってんだよ。嫌いなんか、なるわけないだろ」

 ただ泣くに銀時が困惑しているのが分かる。普段あまり感情を表さない銀時がそのような言葉を投げてくれることが嬉しくて、嬉しくて、でも自分の心の隅に黒い影があるせいでどうしても痛みが取れない。

「あたし、・・・今日仕事で嫌なこと、あったの」

 はつぶやいた。

「・・・銀時がいなくなったら、あたし、耐えられないよ」

 銀時は右手での頭を撫で、左手をの顎に添えた。そして、口付ける。これしかいらない。は思う。そして、今日のことは黙っておこうと。
 お妙が言ったことは確かに正しい。だけど、今は言えない。タイミングが掴めない。何度も何度も銀時のキスを受けて、忘れてしまいたい。
 深くなっていくキスに気付いて、は顔を上げた。

「あ・・・、ぎ、銀時。もうすう神楽ちゃんたちが帰ってくるし・・・」

 銀時の胸を押してが頬を赤らめてつぶやくと、銀時は舌打ちをしながらも承諾した。

「覚えておけ。俺はおまえのこと、ぜってー嫌いになったりしねーから」



 お妙は五つのハーゲンダッツを買ってきた。

「仕方ないわね。今日は特別に私のおごりよ」
「お、マジでか! どうしたのオメー、宝くじでも当たったのかよコノヤロー」

 五つ並べられたハーゲンダッツに手を伸ばす銀時の手をお妙がはたいた。

「銀サンは後で。まずは、ちゃん? 好きなのを選んで」
「あ・・・・・・」

 一瞬お妙の笑顔に見惚れて、は好きなストロベリーを手に取った。

「おい、それ俺が狙っていたのに」
「あたしだってイチゴ好きだもん」
「そんなにイチゴ好きならイチゴ牛乳でも飲めや」

「おまえが飲めやァァァ!」

 そう言ってどこから出してきたのかイチゴ牛乳を銀時の頭にドボドボとかけるのは、確かにお妙。

「ちょっとォォォ! おまっ、何してくれんの! 銀サンの頭がイチゴ牛乳に!」
「ファーストレディを知らない男はこの世から消え去ればいいわ。ね、神楽ちゃん?」
「そうアル。マミーもそう言っていたネ」
「お、俺の頭がイチゴ牛乳・・・」
「大丈夫よ、もともと白髪にちょっとピンクの牛乳をかけたって変わらないから。濡れて髪の毛ストレートになってよかったじゃない」

 さらりととんでもないことをいうお妙は、きっと店でも上手く働いているのだろうとは思った。女として憧れる。

「じゃあ私はチョコクッキーをいただくわ。新ちゃんも神楽ちゃんも好きなものを取ってちょうだい。夜は長いわ、みんなで盛り上がりましょうよ」

 お妙はハーゲンダッツの蓋を開けながら、言った。

「オメー、何、人の家で指揮ってんの?」
「あら、銀サン、頭がイチゴ牛乳臭いわ。近寄らないで」
「誰のせいだと思ってんのォォォ!? すごいよこの人、つい一分前の出来事をもう忘れてるよ!」


 こんな大人数で騒いだのはいつ以来だろう。
 さすが新八の姉、只者じゃないけれど。
 こんなに和やかに笑い合えるのは久しぶりだ。

 心の傷は隠したまま。

 それも一つの修練だから。

 この空気に溶かして、あとは罪悪感だけが自分の心を苦しめばいい。
 大切な銀時を傷つけたくない。

 甘いアイスクリームを食べながら、はそう決心した。






 
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